私の著書です。 もう4年経過したのに45冊が完売していないとは。
俺は、僕が何故いじめられたのか、知ってた。
Amazon |
売り上げは
●親から虐待された100人が書いた本を買おう!
●いじめから子供を守ろう ネットワーク
http://mamoro.org/
に寄付させて頂きます。
また、このプロジェクトに寄付しました。
加害者編
https:/
傍観者編
https:/
●このアーティストに興味を持っています。
http://ameblo.jp/goriyamadakabao
ゴリ山田カバ男
以下本文
中学1年。(昭和60年・1985年度 茨城県稲敷郡阿見町立阿見中学校1-4)
さて、いじめ発生。猪熊君がいじめられている。
大卒1年目の女性教師の担任。何もしてくれない。
いじめっ子は担任の目の前で手を出してくる。目の前で猪熊君が泣かされているのを黙って見ている。
2カ月放置。
さて、学年主任を呼んで放課後に抽象的な説教。
さて、(表面的には)いじめられなくなった。
先生が対策して、いじめられなくなって、明るくなったね、といった雰囲気になる。
いじめがなくなってよかったよかった。
よくねえよ馬鹿。こっちは一生この思い出を引きずっていかなければならねえのに。アンタが見たり聞いたりしたことの何十倍も実際はあったんだからな。
話がそれそうになりました。
さて、(表面的には)いじめられなくなった。
しかし。
誰かの何かに対して私が文句を言うと、こちらが正しくても、「いじめられて泣かされてたくせに!」となるのです。
特に女子生徒。
「なによ! いじめられて泣かされてたくせに!」
いじめられなくなったからって調子に乗って! みたいに思ってしまうのでしょうね。
どうやらいじめられてしまうと、(表面的には)いじめられなくなっても、発言の効果のなさと見下され度はいじめられっ子の時のまま。
でも、私ももしかしたらいじめられっ子だった生徒に、「お前らが今日のここの掃除担当だろ?」なんて言われたら、「何だよ、いじめられてたくせに!」と思ってしまうかもしれません。
佐藤 黒麹 芋焼酎 720ml
2,344円
Amazon |