西近江路めぐり③ ~竹生島~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

1年ぶり2度目の
竹生島(ちくぶしま)です。

 



昨年は、
琵琶湖東岸の
長浜から渡りましたが

今年は西岸の
近江今津から渡りました。

 



見える景色もまた
違いますね。

 

 

写真左側が

海津大崎(うみづおおさき)で

 

右側が

葛籠尾崎(つづらおざき)です。

 

その葛籠尾崎の

南の沖合に、

 

ぽっかりとうかぶ島が
竹生島です。

 

 


島全体が、
花崗岩でできた
巨大な一枚岩だといいます。

 



近江国風土記によれば、

伊吹山(いぶきやま)
の神である
多々美比古命(たたみひこ)と

浅井岳(あざいだけ・金糞岳)
の神である
浅井姫(あざいひめ)が
背比べをしたところ、


浅井岳が一晩で
背を伸ばしたために

怒った多々美彦が
剣で浅井姫の首を
切り落としたといいます。

その切り落とされた
浅井岳の頭が
竹生島になったそうです。



また一説には、

勢力争いに敗れ
海中にくだった浅井姫の
海に沈む音が

都布都布(ツブツブ)と
聞こえたことから
都布失嶋(ツブクシマ)
と呼ぶともいいます。

もちろん、
竹が生える島ということで
竹生島ともいうようです。

なんにせよ、
一晩のうちにあらわれた
という伝説があるようですね。



神仏習合の島であり、

都久夫須麻神社
(つくぶすまじんじゃ)と
竹生島宝厳寺
(ちくぶじまほうごんじ)が

ならび建っています。



社伝によれば、

460年ごろに
産土神として
浅井姫命(あざいひめ)を
祀ったのがはじまりであり、

その後、
724年に天照大神の神託によって、
市杵嶋姫命(いちきしまひめ)が
祀られたといいます。



日本三大弁財天の
ひとつであり、

そのうち最も古いことから
「大」弁財天と名乗っている
といいます。



弁財天を祀る聖地だからか、
都久夫須麻神社では

市杵島比売命
(いちきしまひめ)が
祀られているのですが、



ここでまた
ホツマツタヱをひもとけば、

天照大神の

側室・ハヤコが産んだ

3姉妹のうち

タケコ(田心姫・多紀理比賣命)が
亡くなった地だといいます。
(一説には、沖島とも)

 



タケコは、出雲の

初代・大物主である

大貴己(オホナムジ)の

妻となり、

 

2代目・大物主にして

初代・事代主のクシヒコや

 

鴨大神である
アチスキタカヒコネ

産まれた方です。

 



イスキ打ちという
5弦の琴を造ったといい、

琵琶湖ももとは
「イスキ」と

言われていたそうです。

それが、
弁財天と習合したために、

弁財天がたずさえる楽器の
「琵琶」にかわったといいますびっくり



タケコは
タケフカミもといい、

それが転じて
竹生の字があてられた
ともいうようです。



日本三大弁財天は
それぞれ

竹生島の
タケコ(タケフカミ)、

江の島の
タキコ(エノシマカミ)、

厳島の
タナコ(イツクシマヒメ)が
鎮座しているといいます。

 



宗像三女神ともいわれる
女神たちはいまでは、
弁財天にかわっているようです。



さてもうひとつ面白いのは、
この竹生島の北から、

湖北町の尾崎のあたりまで、
謎の海底遺跡が
あるといいます。



水深10~70メートルに、
あるこの遺跡は、

葛籠尾崎湖底遺跡
(つづらおざきこていいせき)
とよばれ、

水位の上昇や
地盤沈下だけでは
考えられないという
不思議な遺跡だそうです。



侵食も少ないことから
7千年前の縄文土器などが
原型をとどめたまま
発見されているといい、

 

いまでも発掘調査が

行われているそうです。

 

いったいどんな人々が

その地に暮らしていたのでしょう。

 

そしていったい

どんな天変地異が

起きたというのでしょう。

 

 

ほかにも

この滋賀の地には、

約4650か所の遺跡があり、

 

そのうち湖底遺跡は

80か所もあるのだといいます。

 

とてもとても

気になりますね。

 


なんにせよ、この島は
琵琶湖の北に位置して

琵琶湖の
大自然の生気を
一手に引き受けているような
清々しさがあります。

 



水の流れ、循環、
そして螺旋として
龍神様を思い描けば

ここが
龍神様をまつる場として
崇敬を集めていることも
よくわかります。

 

 

さてそれでは、

都久夫須麻神社へと

いってみましょう。

 

 

今回の

旅の仲間たちです。

 

まだ5月のことなので、

長袖ですね。

 

 

本殿は、
国宝に指定されており、

1600年ごろに
伏見城より移築した

ともいうようです。



内部の天井絵も

見事だといいますが、

 

彫刻も素晴らしいです。

 

 

また、

本殿から観音堂へとつづく

舟廊下もとても美しいです。

 



本殿前には

社殿がふたつ並んでいます。

 

本殿向かって左には、
天忍穂耳(おしほみみ)神社と
大己貴神社がありますが、

これは
タケコからすれば、
従弟と夫
ということでしょうか。

 

本殿向かって右には、

江島大神と

厳島大神を祀ってあり、

ご姉妹を祀っているようです。

 

 

本殿の真向かいには、

かわらけ投げでも有名な

八大龍王の拝所があります。

 

 

竹生島の龍神さまに

ご挨拶をしてから、

 

 

こちらの鳥居にむかって、

願ごとを書いた

土器(かわらけ)を投げます。

 

 

ここは

琵琶湖の息吹が

そのまま流れてくるような

素晴らしい場所です。

 

本殿脇の

河童像を抜けると、

 

空海(くうかい)さまの

明星庵跡があります。
 

 

空海さまは

ここで修業されたと

いわれています。

 

ここは人も少なくて

とても居心地のよいです。

 

本殿のちかくにも

弁財天像が祀られていますが、

 

昨年もここで

福小判をいただいたので、

新調いたしました。

 

 

ほんとうに、

美しいお顔ですね。

竹生島は

素晴らしいところだらけで、
何時間でも居られるのですが、

 

なかでもぼくのお気に入りは、
黒龍堂のご神木です。



琵琶湖に

恵みの雨を降らせるという

龍神様をまつるようですが、

ここはとりわけ、
多元的な超越感があります。

 



竹生島のことが

好きすぎて、

 

書いているうちに

また行きたくなってしまいました。

 

何度でも何度でも

訪ねたい場所ですね。

 



あまりにも
琵琶湖が恋しくて、

つぎにたどり着いたのは


梅津(かいづ)にある

カフェでした。

 

 

 

最高ですね。

 

海津というからには、

日本海へと抜けるための

琵琶湖最北の港(津)が

あったのかもしれませんね。

 

ここも、

西近江路のひとつ

だといいます。

 

 

西近江路めぐり④ へ つづく

 

 

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☆西近江路めぐり全記事リスト☆

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西近江路めぐり② ~阿志都弥神社・行過天満宮~
西近江路めぐり③ ~竹生島~
西近江路めぐり④ ~敦賀と都怒我~
西近江路めぐり⑤ ~土公~
西近江路めぐり⑥ ~氣比神宮~