筑後国の高良めぐり⑥ ~つつじ公園と漱石~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

高良(こうら)大社から
南東1キロの山中に
奥宮があるのですが、
そのまえに、

参拝時期が
5月だったこともあり、
久留米森林つつじ公園を
ご紹介します。



高良山の山頂に
ほどちかいここは、
穴場の行楽スポットです。



休憩所もあって

軽食をいただくことも

できますし、

歩いて数分で、
高良山(こうらさん)

山頂や奥宮へ
ゆくことができます。



楽園のようです。
これほどのツツジに囲まれると

歌でも詠いたくなります。
 

 

歌といえば、

ここには句碑がありました。

 

 

『菜の花の遥かに黄なり筑後川』

 

これは明治の文豪

夏目漱石(なつめそうせき)の

俳句です。

 

漱石は学生時代に

正岡子規(まさおかしき)と出会って、

俳句を学んだといいます。

 

このおふたり、

1867年生まれの

同じ歳だそうです。

 

 

その漱石が、

久留米を訪れて

高良山に登ったさい

この句を詠んだといいます。

 

『菜の花の遥かに黄なり筑後川』


朗らかに美しい
花の近景と、


山上からかなたに見える
川の遠景がかすみがかって

春らしい素敵な句です。



ですが漱石の句は、
あまりに素直で赤裸々で
 

ぼくは恥じ入ってしまい
なかなか直視できません。

おなじく子規の門弟で

7つ後輩の
高浜虚子(たかはまきょし)の句は

 

愚直ながらも堂々として

どこか別世界にまで

突き抜けてゆくので

ぼくは大好きなのですが、

この差はなんなのでしょう爆  笑あせる

 

しかも漱石と虚子は、

ともに旅をするほど

仲が良かったようです。

 

また漱石の死後、

虚子は「漱石氏と私」という

回想録を書いたといいます。

 

なんて素敵な関係でしょう。

 

しかもこの回想録、

青空文庫で読めるようです。

 



ほかにも、
近隣にはいくつか
漱石の句碑があるといいます。

『人に逢わず雨ふる山の花盛』

『筑後路や丸い山吹く春の風』

『濃かに弥生の雲の流れけり』

『松をもて囲ひし谷の桜かな』

美しい春の句ばかりですね。



句碑に残っている以外にも、

『雨に雲に桜濡れたり山の陰』
        
『花に濡るる傘なき人の雨を寒み』
              
『山高し堂ともすれば春曇る』

と詠んでいるそうで、
急な雨に降られたようです。



さらに、
高良大社の石段では、

『石磴(せきとう)や曇る肥前の春の山』

高良大社の本殿では

『拝殿に花吹き込むや鈴の音』

と詠んでいるといいます。

 

てらいがなく
素直で清らな歌ですね。

浄化されてしまいます。



さらに漱石は、
太宰府にも

訪れていたといいます。

太宰府天満宮
(だざいふてんまんぐう)では

『反り橋の小さく見ゆる芙蓉哉』

と詠んだそうです。
心字池(しんじいけ)にかかる

太鼓橋と芙蓉(ふよう)の花の

やわらかさが響きます。



大宰府政庁跡では

『鴫立つや礎残る事五十』

とあり、
石柱跡を数えたのでしょうか?



また観世音寺
(かんぜおんじ)では

『古りけりな道風の額秋の風』


天拝山では

『見上げたる尾の上に秋の松高し』



二日市温泉では

『温泉(ゆ)の町や踊ると見えてさんざめく』

とよみ、
目いっぱい観光していたようです。

 



漱石大好き、
となりますね。

さて

ぼくの父はといえば、
このつつじ公園にも
たくさんの思い出があるらしく、

兄弟で

空手の撮影会をしたり、

UFOを呼ぶ会に参加して、
ベントラを唱えたのだそうです。

照れ照れ照れ

この父にして
ぼくありなのですね。
 

 

今回は

俳句の話しだけになりました。
 

それでは、

奥宮へ向かいますよ。

 

 

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