渡辺繁一のブログ -61ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

 自分は言われた事をやるだけで仕事をしている訳では無い、言われたことなら誰でもできる。自分の専門分野と言う見地からクライアントに対してどういう提案をする事が最大の利益をクライアントにもたらす事ができるかと言う考えかたを強く持つ事で躊躇せず行動ができると信じている。たとえそれが間違っていたとしても、その提案がクライアントの為であるという意識が伝わればクライアントはあまり悪い気がしないのではないかと考える。熱意とか情熱と言うメンタルな部分が実はものすごく重要だと考えている。
いつも、朝起きて頭の中をクリアーにしてブログを書く事を習慣にしている。今日は頭の中がまとまらない。
一度にいろんな事が頭の中にわき起こってきて、どの部分を取り出すか混乱しているところだ、そういう感覚は写真の撮影に似ているのかも知れない。どこを魅せて、何処をカットするか?その写真を観た人がどう感じるか?感じる意図をコントロールできるのがプロの写真家であると思う。写真の良い悪いはプロアマ関係が無いと思っている、アマチュアでもプロより良い写真を撮る人は沢山いる、違いは撮った写真の意図をコントロールし、クライアントのリクエストに合わせる事ができるかどうかという事だと思っている。
感情の導線の概念を商業施設に応用してみよう。商用施設に於けるタイムラインは、商業施設に向かうお客様の足取り、エントランス、ファサード、回廊、ショップ、など、タイムライン=場所の変化として考える事ができる。通常のデザインでは個々のでティールと全体のコンセプト、その場所、場所毎の商品の見せ方、照明、音響、映像、雰囲気などの環境について考える、これが空間のデザインの概念だ。

感情の導線(感情のデザイン)の概念では、その場所、その時間にお客様はどういう感覚になるか?どういう気持ちになるか?そして何を感じ、どういう行動を起こす、あるいは起こさせる。そういう解釈をしてみようというのが、感情の導線の商業施設への応用だ。

その施設の場所、場所ごとに演出(内装、照明、音響、映像など)が行われている、それが効果的にお客様の感情に刺激を与えることが出来るのか?高価な設備、高級な家具もお客様の感性を刺激する存在として施設を演出する為の要素として機能する事が求められている。

(参考)
笑ったり、泣いたり、悔しい、恥ずかしい、○○が欲しくなる。人間は実に様々な感情を常に持ち続けている、感情は何故存在するか?その質問の答えはかなり深い、人によって様々な解釈があったり、本で書かれている事も様々です、私が考える感情の必要性、何故?感情は存在するかの答えとしては、「自己の成長の為に感情は存在する」と考えている。悔しい気持ちが、成長の為になると考えるとちょっと違和感を感じる人もいるかも知れない。
昨日、サニー久永氏の講演を聞く、いつかは自分の書いた本を世の中に出してその考え方の評価をテストする事も悪く無いのではないかと考えていたので参加したのだ。文章を書く事自体は、無から有を産み出す瞬間、考えている事を具体化して人にわかってもらう手段であると考える。絵を書いたり、図面を書いたりする作業も同じ思考の方向を持っているのかも知れない、ただ本の場合は、おおよその場合は、頭から読み始め、最後のいたるという順番が確実である、図面や絵などはその順序が存在しない。鑑賞者?が情報をジグゾーパズルの様に頭に構築していく。

本の場合は、だいたいの場合は頭から読み始める、つまり最初の頃に書く事は、説明的、定義的な内容が多く網羅されることになる、映画と同じで、構成の前半は登場人物の性格や役割、時代的な背景を描写して行く、そのなかでトラブルやアキシデントが起こりそれを解決する、最後にこれで完璧だと思わせておいて、想定を超える展開に物語は進展する。

面白さを感じさせるダイナミズムは、この想定を超えるところにある、「死んだはずの人が実は別人だった。」よくある映画の設定だが、そのことが「ありえない」と思わせて実は・・・という展開を映画では事前に作ってある。映画を途中から観てその箇所だけを見るとなんの感動もない。「・・・という展開を映画では事前に作ってある」という設定で鑑賞者に「思い込み」を構築しているのだ。

私は映画の製作に関わった経験が無いので解らないが、恐らく、映画の流れのなかの展開でどういう風に鑑賞者のワクワク感が変化するかをデザインしているのだと思う。シナリオと言うタイムラインとは別のレイヤーで「鑑賞者の感情」というタイムラインをたて、そのとき「どう感じるのか」をシナリオの進行に合わせてプロットするだと思う。これを私は「感情の導線」と言う事にしている。
大学時代、友達から聞いた本当のはなし。

急に思い出したので、日記に書いてみた。

ホームレスのおじさんが、リヤカーに大量の段ボールを載せ道路をわたっていた。その段ボールの上には茶色の犬が痛々しい包帯を巻いていた。

「おっちゃんどうしたん、その犬、包帯巻いてるやん。」
好奇心の強い僕の友人は、なにげにホームレスのおじさんに質問した。

「あっ、こいつか?道歩いてたら、こいつ車にはねられて、動けんようなってたんや、ほんでしゃないから、さっき医者連れて行ったとこやねん。」
「10万もかかってもうた。」
 とホームレスは云うのであった。



にわかに信じられない、この都会でそんな気持ちの人間がいるであろうか?
その日暮らしのホームレス氏、10万をお金を工面して、路傍にいる瀕死の見知らぬ犬為に治療費を払うであろうか?

 話に聞いたホームレス氏、現世の神の姿を彷彿とさせる。