昨日、サニー久永氏の講演を聞く、いつかは自分の書いた本を世の中に出してその考え方の評価をテストする事も悪く無いのではないかと考えていたので参加したのだ。文章を書く事自体は、無から有を産み出す瞬間、考えている事を具体化して人にわかってもらう手段であると考える。絵を書いたり、図面を書いたりする作業も同じ思考の方向を持っているのかも知れない、ただ本の場合は、おおよその場合は、頭から読み始め、最後のいたるという順番が確実である、図面や絵などはその順序が存在しない。鑑賞者?が情報をジグゾーパズルの様に頭に構築していく。
本の場合は、だいたいの場合は頭から読み始める、つまり最初の頃に書く事は、説明的、定義的な内容が多く網羅されることになる、映画と同じで、構成の前半は登場人物の性格や役割、時代的な背景を描写して行く、そのなかでトラブルやアキシデントが起こりそれを解決する、最後にこれで完璧だと思わせておいて、想定を超える展開に物語は進展する。
面白さを感じさせるダイナミズムは、この想定を超えるところにある、「死んだはずの人が実は別人だった。」よくある映画の設定だが、そのことが「ありえない」と思わせて実は・・・という展開を映画では事前に作ってある。映画を途中から観てその箇所だけを見るとなんの感動もない。「・・・という展開を映画では事前に作ってある」という設定で鑑賞者に「思い込み」を構築しているのだ。
私は映画の製作に関わった経験が無いので解らないが、恐らく、映画の流れのなかの展開でどういう風に鑑賞者のワクワク感が変化するかをデザインしているのだと思う。シナリオと言うタイムラインとは別のレイヤーで「鑑賞者の感情」というタイムラインをたて、そのとき「どう感じるのか」をシナリオの進行に合わせてプロットするだと思う。これを私は「感情の導線」と言う事にしている。