頭を使うとすごいことができると思って、カタカナの専門用語を無理矢理吸収しようと考えても、
「言葉」と「理論」と「意味」が頭に吸収されるが、
その知識は言葉と意味の「記憶」であって、
専門用語が持っている物語、歴史、それが生まれた過程が理解できていないと、根源的に持っている「意味、力、感情に及ぼす影響」を感じることができない。
僕が専門用語、カタカナ言葉を極力避ける大きな「理由」はそこにある。
例えば、「勇気」という言葉を聞いたとき、自分の心のなかでいままで経験してきた「勇気」に関わる感情が蘇ってくるかと思います。
「マーケティング」という言葉を聞いたとき、自分の感情はどんな反応をするだろうか?
本で読んだ事がある人は、マーケティングの意味はどうだったのか?と思い出すように頭を働かすかもしれない。集客することを考える人はまた別の意味を持つだろう。
言葉は、情報を正確に伝える為の道具であり、感情を表現する記号と考える。
そして、その心からでてくる気持ち、感情、イメージこそが、ものごとを決めていく、基準になっていることを理解しないといけない。
専門用語も何百回と聞いていると、それが及ぼす気持ち、感情、イメージが定着してくる、心で感じることができるようになっていれば、それをつかう価値はある。
が、それは人によってそれが及ぼす気持ち、感情、イメージが異なっているということを理解していないといけない。普通の言葉でもそうだが、特に専門用語は人によって解釈が異なってる。
いま、巷をにぎやかにしている専門用語は、別名「はやりことば」であって
一般的大衆がそれに感じる意味の劣化が激しい。
だから、安易に専門用語にたより過ぎるのは避けるべきだと考えている。
専門用語が多い文章は寿命が短い。
専門用語は取扱い注意、賞味期限あります。
専門用語を並べた専門書は、何回よんでも難解。感情へ響くような表現を用いて書かれていない。しかし、副作用の無い睡眠薬としての効果は絶大だ。