私は十分頑張っている、なのに・・・・・
今一、進歩、発展がなく、業績もふるわない・・・・
と思うことがあるかと思う。
「心の底では、今のその一見芳しくない状態を心地が良いと感じているから
その状態から脱出することができなくなってしまっている。」
という「見方」を違和感を感じるかもしれないけど、自分自身に強要して
当てはめて、考えてみる。これはゲームだと思ってやってみる。
一見理不尽なこの考え方にあなたの気持ちはどのように変化、揺らぐだろうか?
かたくなに以前の考えを守り、課題の「見方」を拒否するだろうか?
なるほど、それも面白いと思うだろうか?
あるいは、ここに書いてある意味が解りにくく、違和感を感じるだろうか?
この今、心の中に起こったこと、感情の変化を自らの現象ととらえて、
「今、どう感じたのか?」を見ることが大事なのです。
ほとんどの人は、外部からの刺激、現象に対して、反応する(どのようにそれを感じるか)そして心の中に発生したその感情に基づいて、何らかの行動を起こす。
行動をしないという人もそういう「しないという事が」その人にとって一番良いと考えたのでそのようにしているだけなのです。
分析的な事を書いてしまったが、これが無意識の判断なのです。
幼い子供もころを思い出してほしい、周りのものは全て大きく見え、道路は広く感じ、大人は大きく、大声で喋る人がいると怖い感じがします。自分の住んでいる世界から、すごく沢山の刺激を感じているという状況だったのです。
人の柔軟性と、適応力は素晴らしいものがあるのです。幼い子供は自分が生きていくため環境に順応していくために様々な刺激について貪欲に「学習」していくのです。こんな顔をする人は怒っているんだ。車の音がしたら道路の端に身を寄せないといけない。
先生や親から面と向かって教えられる「お勉強」の情報ももちろん大事です。
しかし、環境に自分を適応させ、人の本来持っている根源的なニーズ、食欲、痛みを避け、楽しさを求める、愛したい、愛されたい、認められたい、を満たす為に身につけている生活のための道具、を無意識下で形成していくものなのです。
人が生きていくために作られたこの根底的な考え方は、その人の信念になります。大事なもの、守るべきもの、大切にしたいもの、嫌なもの、避けたいもの、ほとんど幼いころに決まってしまいます。外部からのこんな刺激に対してはこういう気持ちになる、だからこんなふうに行動しよう・・・ではなく、「行動してしまう」のです。無意識の判断基準という見方もできますし、考え方のテンプレートという見方もできます。
○○をしたいのにできない。意識の力ではどうすることもできないことがあります。それは、この「根底的な考え方」の力が強力なため、そのようにさせられてしまうのです。
そんなことがあった時、この話を思い出して欲しいのです。
自分が今まで生きてくる上で非常に重要だと考えていたこと、それが「根底的な考え方」なのです。良い意味でも悪い意味でも自分の心の中にある正しさなのです。そう簡単には変わらないということを自らが認めることが、自分と向き合うことになります。