また、旧友が一人、旅立ちました。
歳は私と同じ、53歳、いや52歳だろうか。
昔、会社を立ち上げた時に、お世話になりました、
死んだ人の悪く言うつもりは無いのだけれど、
若くして両親を無くされた、
遺産があったのでしょうか。
お金が有りすぎると人は変わってしまうものなのだろうか?
散在したといていたということは風の噂で聴きました。
経営していた飲食店も今一、売上げが伸びず。
私は、その店舗の保証人になり、いくらかのお金を支払うこともありました。
亡くなる3年ほど前に会った時も、お金に困っているようでした。
横浜まで訪ねてきて、
保証人の更新のために私を頼ってきたようなのです。私は困っている彼を見て断り切れず、彼の再起を願い、喜んで判子を押した覚えがあります。
その時、財布をうっかり忘れたというので、帰りの電車代をだしたりしたこともありました。
もしかしたら彼の嘘だったのでしょう。
でも、そんなことはどうでも良いことです。
気持ちの問題が、身体に大きな影響を及ぼしていたのでしょう。
今の自分を苦しめているもの、それを解決せずに放置したり、
逃げたりする方法は、今の社会に沢山あります。
お酒、お金、交遊関係などなど・・・
それに頼ることは、一時自分を幸福に導いてくれるだけなのです。
マッチを摺った時、一時だけ身体が暖まるだけで、マッチが無くなると・・・
故人を偲ぶことは、大切なことだとおもいます。
しかし、可哀想なこと、と考えることは正しいのだろうか?
本人はそう思われたいと、それを望んでいるのだろうか?と、
There is only one things in the world worse than being talked about,and that is not being talked about.
噂をされることより悪いことは、この世に一つしかない。それは噂をされないことだ。
オスカーワイルド
これを別の言い方にかえると・・・・
「無視されることに比べれば、悪い噂も福音に聞える。」
人には承認の欲求、「認めてもらいたい」という気持ちがある。
「私は目立ちたいです」と言わないまでも、存在自体が自己主張している人もいれば。
一見、目を引きたくない、目立たないように行動し、一人でボッチで、仲間に入ろうとしない人も確かにいる。かといって認めてもらいたく無いのか?というとそうでは無く、そういう人も本当のところは、そういう行動をとることで誰かに「気づいてもらいたい」「声をかけてもらいたい」と思ってるからそういう行動をとるのだ。
ブログを読んでいても、正面から自分の関心について述べる方法もあれば、
「自分はこんなことをした。」ということで関心の気持ちを集める方法をとる方法もある。
どっちが良いとか悪いとかということではなく、そういう考えがあるという事だけでも知っておいて損は無いだろう。
前者
正面から、正攻法で相手に認めてもらう。
他人の気持ちをコントロールするのではなく、自分の気持ちコントロールする。
後者
他人の関心事をじらすように見せる「技」
他人の気持ちコントロールするように働きかける。
噂をされることより悪いことは、この世に一つしかない。それは噂をされないことだ。
オスカーワイルド
これを別の言い方にかえると・・・・
「無視されることに比べれば、悪い噂も福音に聞える。」
人には承認の欲求、「認めてもらいたい」という気持ちがある。
「私は目立ちたいです」と言わないまでも、存在自体が自己主張している人もいれば。
一見、目を引きたくない、目立たないように行動し、一人でボッチで、仲間に入ろうとしない人も確かにいる。かといって認めてもらいたく無いのか?というとそうでは無く、そういう人も本当のところは、そういう行動をとることで誰かに「気づいてもらいたい」「声をかけてもらいたい」と思ってるからそういう行動をとるのだ。
ブログを読んでいても、正面から自分の関心について述べる方法もあれば、
「自分はこんなことをした。」ということで関心の気持ちを集める方法をとる方法もある。
どっちが良いとか悪いとかということではなく、そういう考えがあるという事だけでも知っておいて損は無いだろう。
前者
正面から、正攻法で相手に認めてもらう。
他人の気持ちをコントロールするのではなく、自分の気持ちコントロールする。
後者
他人の関心事をじらすように見せる「技」
他人の気持ちコントロールするように働きかける。
器用でスマートな人は、出来ることが多い、いや、あえて別に言い方をここでさせてもらうと、(出来てしまう)と言い方が正しいのかも知れない。
不器用で誠実な人は、やりたいことがあってもなかなかそれをすぐにできるようにはならない。人の何倍も何倍も時間を費やし、努力して、それを達成する。
同じことをしても、
出来てしまう人と、努力してそれを達成する人には大きな違いがある。
なんだか解りますか?
それは、感情の違いといえるでしょう。同じことをしても「達成できたことの喜び」を感じることができるのは、不器用な人の方でしょう。達成したことの喜びは、自信を心の中につくる事になるでしょう。それは、目に見えない、あなただけの勲章のようなものです。
「挑むチカラ」とでも言えばいいのでしょうか、達成できたその時、その「挑むチカラ」が強くなる。自分は、「こんな難しいことを成し遂げることができた、だからもっといろんなことが出来るのではないか?」という気持ちです。いままで気づくことができなかった、自分の可能性を感じることができるのは、何かを達成したときなのです。
もしかしたら、客観的には、それが「大したことをしていないのかもしれません」
だからと言って、それを達成できたことを自分に向けて祝福し、喜べないのなら、「挑むチカラ」は弱くなります。
不器用な人はスマートな人にコンプレックスを感じてしまうものですが、出来ないことが多いということは、チャレンジするべきことが多い、身の周りのことを真剣にやることでそれを達成したことの喜びを感じるチャンスが沢山あるのです。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
現在完了形に直すと、心に刺さります。
今のあなたのその運命は、少し過去のあなたの性格が導いたもの
そして、その性格は少し過去のあなたの習慣が導いたもの
そして、その習慣は少し過去のあなたの行動が導いたもの
そして、その行動は少し過去のあなたの心の言葉が導いたもの・・・
何かを欲しいとあなたが思った時、
その気持ちは、どこから来ているのか。
価値があるからそれを必要だと思った、思い込んだ。
その気持ちを客観的に考えてみよう。
あなたにとってそれが
欲しいものなのか?
それとも、必要なものなのか?
昨日読んだ本で、貧乏人はこの2つの価値感の区別ができないという。
必要なものとは、生きていく上で必要だと考えるもの。
欲しいものは、もし、それが無くても生きてくことができるものだと
いう単純で解りやすい定義が載ってあった。
それが欲しいと思うのは。それがなくてはダメなんだ。必要なんだと勘違いする。
また、勘違いをさせるような、情報が巷に氾濫している。
世間が作った価値観をテレビやインターネットで見ることで、それが必要なんだと勘違いを
させられ、自分や家族を信じ込ませそれを買う。買ってしまう。
これが本当の話、
でもこんな反論が聞えてきそうだ。そんなこと無いよ・・・・
「もちろん、買うことで様々な価値を得ることができるのは事実であり。
いろんな豊かさをもたらしてくれる。」
この反論こそが、貧乏人の発想意外のなにものでも無い。
と言うことに気づかないといけないのだ。
もともと、豊かさは自分の生活や活動の一部であり、自分の中にある自分自身をどのように想い感じているのか?幸福で満ち足りて、パートナーや子供と過ごしているのであれば、それだけで心は幸せで満たされている。
だから、あえて豊さを求める為に何かを買うという必要を感じないのだ。
こころの中の豊かさを求める隙間に誘惑の魔の手が伸びるのだ。
何かを欲しくなった時に、こんな質問をしてみよう。
自分の心が豊かで満ち足りている。自分は自分自身の可能性を強く信じている。
その自分自身はこれを買うことでどんな価値を得ることが出来るのだろうか?
本当に必要なのだろうか?・・・・と