19. 私が産婦人科分野の鍼灸師になった理由〜私の世界観〜 | アラフォー妊活・鍼灸師も遠周りさせない! 妊活栄養鍼灸専門家

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妊活栄養鍼灸チア協会 なちゅら鍼灸院 代表
妊娠症例3000例・逆子97.7%頭位医療論文著者
産婦人科領域病鍼連携 道南地域 唯一無二 実績No1!


18. 私の世界観

私の母は 習い事の三味線のご縁から 父とお見合いし出会い 結婚したそうです。

高校を出て、洋裁の技術を獲得。
OZOCとかの服を縫っていたそうです。

なので 実家には工業用ミシンが置いてありました。

24歳で結婚。26歳で第1子の私を出産しました。

嫁いだ当初は 農家から嫁に来た農家の嫁。
時代が時代だったのもあり、農家の長男だけれど手に職つけて働く父には かなり母の両親が気に入った点だったそうです。

祖父祖母は 梨ぶどう農家をしていましたので、とやかく言わず手伝うかなり働き者の母だったようです。

母32歳の時、父が鍼灸整骨院を開業。

後から母に聞くに、母は有無も言わないで
「夫が開業するのだから手伝うのが当たり前」
だと思った。とのこと。

流行り出した整骨院で、治療補助、会計事務、当たり前にこなしていく母でした。

いずれ父の下で私が働いたから知ったこと。
さらし巻きも、素手の腰背部の軽擦の緩むマッサージは、父が俺より上手だと申しているほどでした。

月末月初の保険もまだ昭和の時代 父と2人寝ずに手書きで手伝っていたのを知ってますし、

その疲労から父が事故したときも(その時の話)
父が縦隔洞腫瘍でオペした時も(その時の話)
心筋梗塞で倒れた時も(その時の話)

父の仲間の先生や父の弟子たちと院を閉めずに乗り越えた母でした。

夏時期には 祖父の梨ぶどう畑も盛りで 整骨院のお休みの時には 路地店頭販売も母は行なっていたし

畑の手入れも手伝っていましたし、

私たちが長期休みや病気で学校を休んでいた時
内線で9:30には「奥さん!来てください!」と
自宅で洗濯物を干していても呼ばれて飛んでいく姿や

よく白衣姿のまま (父の若い弟子の先生たちもうちの自宅で夕食食べて帰っていたので)大鍋でカレーを作っていた姿など、よく見覚えがあります。

そののち(今も) 元農家でしたので 不動産もやっていて、その経理運営は事実上 ずっと母が担当です。
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私が高校2年生の時 祖母が梨畑でくも膜下出血で倒れ3ヶ月は生きてくれたのですが亡くなり、

その時、どうしても祖母に目が行くので、ちょっと祖父が認知症じみてしまった時がありました。

祖母の葬儀の際、喪主が祖父なのに お清めの席で「皆さんご苦労さん お先に。」とその場を帰ろうとしたと言いいます。

そこから とにかく 何をするにも「おじいちゃん、おじいちゃん」と祖父を大事にし

祖父の認知症の進行も阻止

それこそ もう祖父の孫たち(私たち)が 母を「お母さん」と呼んでいても 祖父は 私の母のことを「ママ」と呼んでいたくらい 頼りにしていました。
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母はとにかく 父のことも尊敬していました。

そして 私が習い事をやめたいと言った時(その時の話)も
部活(吹奏楽)で体育会系なノリできつくて辞めたい時も 上手に

「どうしてもやめたいならいいんだよ、やめても。
たださ、りえこが行かないと始まらないでしょ。」

そう あなたはその場に必要な人でしょ?
と上手に誘導する母でした。

そして

「また学校行くの?そんなに勉強が好きなのはお父さんに似たんだね。お母さんは勉強が好きじゃなかったから(笑
顔はお母さんににたけど、その努力家は お父さんに似たんだね。」

とよく言う母でした。(おだて上手だったと思う。)
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父の不倫話が発覚するまで 有無も言わず父の仕事を手伝い 休みの日は農家の嫁をやって 母は4人子供が居ても 祖父祖母の世話を必要となっても 不動産の経理の仕事も文句言わず やり行っていました。

そしてたぶん いや確実に 家事より 仕事が好きな人でした。

その中で 父のとんでもない 裏切りです。

父による父の整骨院のパートさんとの不倫なんて。
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後から聞くに

心筋梗塞をして それまで仕事が趣味まで言っていた 真面目一辺倒だった父

心筋梗塞して死にかけて 今までの生き方の価値観が変わってしまったそうです。

(父の弟(私の叔父)は そんな父を 「真面目さんは 道を外れるのも真面目に外れる!」と揶揄してました。)

そこで

ずーっと 家でも仕事場でも 一緒の奥さん
父は ほとほと嫌になってしまったそうです。

もうつきまとわないで欲しい。解放して欲しい。
と一時期 父が漏らしていました。

母は わき目もふらず 服を買うとかせず 仕事ばかりして来た人で、祖父祖母が 自宅に服屋を呼んで 服を母に買い与えるほど 母は贅沢しない人でした。
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そして あのグーで患者さんの前で父が母を殴ったあの日(その記事)以来 母も父に鍵を奪われ整骨院出入り禁止になっていました。

母が生きがいも奪われたのです。

母は 鬱に近いような状況でした。

正直今思っても あの時は 父も母も目がおかしかった。キツネでもついてるかのようでした。
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私は 父の不倫相手にそっと去って欲しいと手紙も出しました。
(今から2年前に父が亡くなっていますが、父の死後整骨院からその手紙も出て来たらしいです。)

母の尋常でない状況に 公共の電話相談窓口にも電話して相談もしました。

その助言も受けてメンタルクリニックにも連れて行きました。

そして 私は もっともっと手を打つことにします。