母に棄てられてしまった振り袖◆ | あんねてのきもの日記

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ふだんのきものについて、出会った花々についてあれこれをつづります。

                                                                   

 母が亡くなって、数回母の記事を書いたので、仲の良い母子だったように見えるかもしれないが、実は違う。随分と長い葛藤があった。

 

 まず、振り袖を棄てたというので長く母を恨んでいた。ふつうはそういうものは棄てないし、妹とか従妹とか親戚にまわしたりするものだが、とにかく母は棄てたというのだった。

 

 私は20歳で結婚した。20歳の誕生日に近所のパン屋のおばさんに訪問着を着付けて貰って写真館で記念写真を撮ったが、その写真がどこにいったか見つからない。下の写真の母が作ってくれた訪問着を着たのだが、これは別の場面で自分で着付けている。

 

                       

 

 成人式は翌年だったので、お姑さんが振り袖を作ってくれた。淡いクリーム色の地に大きな蝶々が飛んでいて、羽が赤や緑のものだった。冒頭の写真はお姑さんに着せて貰って、お正月に嵯峨野巡りをした時の一場面だ。お寺に上がったので、わら草履を履いている。

 

 この振り袖は実家に送って、お正月に帰省しては2回ほど着た。学生結婚だったので在学中に出産して、その後は振り袖を着る機会もなくなった。

 

 あなたは子持ちだから卒業式は振り袖じゃないのよね、とか口の悪い友人に言われた卒業式は、夫の妹が貸してくれた訪問着一式を着た。これも自装。

 

                

               絞りの訪問着  

 

           

           向かって右から2人目が私

 

 ずいぶんしばらくして、娘の七五三をする時思いだして、あの振り袖はどこにあるの?と母に聞いたら「棄てた」((((((ノ゚⊿゚)ノ 何で?どうして?と聞いても「棄てた」の一点張り。

 

 まあ、電撃結婚で、とは言ってもお互いの両親には引き合わせて承認は受けたんだけど、母としては、着物を揃える楽しみも奪われてしまったのだろう、お姑さんが振り袖を作ったというのも気に入らなかったのかもしれない。とは思うものの、振り袖を棄てられたことはずーとしこりとなって残っていた。

 

 ところが、亡くなったら、そういうしこりがすーと消えた。ただただ、心配を掛けつづけた私だったなあという申し訳ない思いでいっぱいになった。そして、母の写真を見ていると、ふっくらとした暖かい塊がそこにあるように思える。


なつです、いつもご訪問ありがとうございます。                                  

 

 

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