10年ほど経って尋ねた真如堂前の下宿
以前に書いたが、18歳の時1年ほど同居していた京都岩倉の叔母の家から、独立して真如堂の下宿に移った(その記事は、こちら)。それ以来50年近く、叔母とは会う機会がなかった。ところが先日、母の病室で出会ったのである。この叔母は母の一番下の妹で、私とは10歳ぐらいしか年齢が離れていない。
先月の31日、母を入院させて、必要な物を買って午後に面会に行ったら、何と拘束用の手袋を嵌められていて、「取って!取って!」と大騒ぎしているところだった。点滴も酸素のチューブも引き毟ってしまうので手袋を嵌められたそうだ。なぜ、手袋を着けられたのか言って聞かせるのだが、認知症なので理屈が理解できない。そのくせ口は達者で「私の自由を拘束してみんなで笑っているのか!」と叫んではベッドの枠に手袋ごと手を打ち付ける。
その翌日(8月1日)、横浜に戻る前に病室に寄ると、岩倉の叔母がお見舞いに来てくれた。叔母に話しかけられると、母はしんみりとして認知症とは思えない、かなりまともな会話をした。7人兄弟で、両親は育てるのが大変だったろう。でも、兄弟の多いお蔭で身内にしか話せない相談なども出来て、ずっと心強かった。暑いだろうから冷蔵庫から好きな飲み物を出して飲んで、などなど。
叔母と私が額を撫でて「また来るからね」というと、なぜ額を撫でるのか、熱は無いよ、というので笑ってしまった。手袋嵌めているから手が握れないのでその代わりに額を撫でているんだよ、というと病室を出るとき、手袋ごと何度も手を振るのだった。
叔母と私は泣きながら病室を出て、呼んであったタクシーで駅に向かった。それから列車に乗って、しみじみと話ながら京都駅まで戻った。実に50年ぶりの会話だった。
母は、翌日(2日)からはもう意識が無くなったそうだ。そして、その2日後(4日)に亡くなった。
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