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河合の現時点での各占星術の流派に関する結論

河合は中国・インド・西洋の様々な占星術を学んでいる。
そして、ある程度の現時点での結論はある。
多くの方が流派に関することで悩んでいるから、河合の現時点での結論を書く。



占星術は感覚的(右脳)か論理的(左脳)に分かれる

占星術は、感覚的(右脳)な占星術と論理的(左脳)な占星術がある。

四柱推命
日本流四柱推命(泰山流、透派)は感覚的
台湾流四柱推命は論理的

紫微斗数
星曜派は感覚的
飛星派・欽天派は論理的

インド占星術
論理的

西洋占星術
現代派は感覚的なところがほとんど
古典派は論理的
しかし、現代派でも論理的なところがある



インド占星術
インド占星術は、ほとんどロジックばかりである。
感覚的な部分はあまりない。
しかし、河合はそれ故にハマった占星術であると言える。



四柱推命
四柱推命は、日本と台湾では大きく違う。
四柱推命は、干重視の透派と、支重視の泰山流、月支重視の台湾流と分かれている。
しかし台湾流は、蔵干や五行の変動を合や刑や冲等を利用して分析する。
そして、様々な事象を厳密に分析する。
一方の日本流は、台湾流よりは柔軟性があり、ある程度の許容範囲を持って感じ取る。
その為、細かな事象の分析は台湾流に比べて難しい。

四柱推命の正しい流派はどれなんだと、様々な四柱推命の流派を比較検討し、四柱推命を厳格に追求し続ける方には、私は間違いなく台湾流を推薦する。
厳密で正しい喜神・忌神を追い求める方が満足できる流派は、台湾流しかないからである。

しかし、台湾流の厳格さは視野を狭めかねないし、鑑定の幅を狭めることにもなりかねない。
特に右脳で感覚的に感じる占い師達や、それに同調する鑑定客の方々には、台湾流は厳しい。
故にそうした方々には日本流が良いだろう。

私の場合、四柱推命は8割近くは台湾流の考えで見て、残り2割は日本流の感覚で感じ取って分析している。
台湾流四柱推命は論理的に考えて厳密に分析するが、日本流四柱推命はある程度の許容範囲を持って、感覚的に感じ取るのである。

赤ちゃん取り違え事件での、同じ刻生まれ、同一命式・同一大運の事例でも、一方が金持ち、他方は貧乏と言うこともある。
だから、台湾流のような精密さの中に、日本流のような柔軟性が必要であり、そうでないと亜流の流派が無限に拡大再生産されるだけである。



紫微斗数
紫微斗数は、星曜派と飛星派と欽天派がある。
しかし、私から見れば、星曜派は感覚的であり、飛星派と欽天派は論理的である。
星曜派は星の象意を徹底的に重視して、豊富な解釈をする。
星曜派は右脳的なイメージ化が得意なのである。
一方の飛星派・欽天派は飛星や活盤や自化等の星以外の要素を徹底活用すると言う感じである。
私は飛星派・欽天派を7割、星曜派は3割と言う割合で分析している。
しかし、紫微斗数は流派が異なっても、大方の結論はそこまでズレは生じないから、かなり便利な占星術である。



西洋占星術
西洋占星術は古典派と現代派に分かれている。
古典派はかなり論理的である。
品位を重視する指標は厳密である。

現代派は、ほとんど感覚的である。
90%〜95%の現代派の西洋占星術師は、感覚的であり、西洋占星術というか占い師のメインストリームと言えば、現代派感覚的西洋占星術師のことを示すと言える。
星座・惑星・ハウス・アスペクト等のイメージ化が得意で、それらのイメージのみで感じ取っていると言える。
一方、現代派でも、アスペクトやハーフサムの厳密な度数や細かな計算にこだわったり、惑星の支配や在住等にこだわる論理的な考えもある。



河合の占星術の見解での結論
河合の現時点での各占星術での考えは、感覚的(右脳)に感じる方法と、論理的(左脳)に考える方法は、両輪を成していると思うのである。
どちらの考えも重要である。
そして、これらは矛盾しないから両立するのであり、流派の違いは無問題である。



姓名判断
ちなみに、姓名判断の画数については、私は常用派である。
つまり、ほとんど新字体派だが、旧字体を日常使用していれば、旧字体が作用するとの考えである。
それは日本国と安倍晋三の相性など、様々な実例や論理的根拠(漢字の象形文字から続く長い歴史)から導いた結論である。
そして、私は日本流姓名判断はあまり用いておらず、ほとんど中国流姓名判断を参考にしている。

もしかしたら、戦前の名残りで旧字体が働くこともあるのかもしれないから、旧字体派が間違いとまでは言えないのかもしれない。
しかし、テレビ・パソコン・新聞で新字体が表示され、旧字体自身も象形文字等の以前の漢字を駆逐してきた漢字である以上、同様に今度は新字体に駆逐される運命にある。

日本流姓名判断は5個の画数を見るが、中国流姓名判断は12個の画数を見る。
相性も見ることが出来るのが、中国流姓名判断である。



方位術の実例分析は少ない
おまけに流派が多数あり、吉方位が異なるケースもかなり多い
主要な判断要素も流派で違い過ぎる

方位術ほど難しい占いも珍しい。
方位術には、九星気学と奇門遁甲がある。
しかし、問題は方位術には多くの流派があり、互いに見解がいろいろと対立していることである。
大変悩ましいものである。

奇門遁甲は、吉方位を判断する際、以下のようにいろいろな考えがあるそうだ。
一、門で判断する流派
二、格で判断する流派
三、卦で判断する流派
四、個人の四柱推命の命式の喜忌と合わせて判断する流派
五、様々な要素を総合的に判断する流派

一方の九星気学も、多くの流派では、奇門遁甲よりかは見解は似ている部分もある。
例えば、五黄殺・暗剣殺・破れはどの流派でも重視するだろう。
しかし、干支を使う流派もあり、更にはその使い方での対立、更には様々な方位神を採用するか等の対立もある。
また、気学では30度・60度派と45度派の対立もある。
更には、年月盤が作用するには3泊・4泊で足りるとする流派も有れば、15日や30日かかるとする流派も有る。

方位術には、海外方位をめぐる見解の対立もあるし、磁北派対真北派の対立もある。
こんなに見解が違い過ぎるのに、その割には実例検証は少ないと言える。
そもそも、占星術に比較すれば、実例自体を集めにくいと言える。
占い師の中にも、方位術、つまり吉方位や凶方位は存在しないと述べる人もいる。

奇門遁甲派の中には、九星気学は奇門遁甲の簡略化したものに過ぎないから、九星気学は当たらない、奇門遁甲が正しいと言う人もいる。
ところが、その肝心の奇門遁甲自体が流派が多過ぎて、吉方位が異なるのだから、どの奇門遁甲が正しいか迷ってしまうのである。
これでは、九星気学は奇門遁甲を本当に簡略化したものかすら怪しいではないか。

私は今までは、笹木龍一先生の十干十二支九星気学が一番マシな方位術だと考えてきたが、最近は考えが変わりつつある。
干支が重要なのは確かに同感なのだが、方位神等も重要ではないかと考えさせられたからだ。

そもそも、河合が方位術に対して思う疑問の一つに、凶神や凶方位が、吉神や吉方位に対し、あまりに多過ぎないかと言う疑問だ。
しかし、五黄殺・暗剣殺・破れと凶の方位神ばかりは何故か積極的に採用するのに、吉の方位神を採用しないのはあまりに不自然である。

論理的に考えて欲しい。
織田信長は居城を清洲→小牧山→岐阜→安土と転居した。
豊臣秀吉は居城を長浜→姫路→大坂と転居した。
徳川家康は居城を岡崎→浜松→江戸と転居した。
つまり、戦国時代の三英傑は、転居が多いのだ。
一方の滅亡した戦国大名の多くは、こうした転居がほとんどなく、ずっと本拠地は固定されている。

つまり、凶方位や凶神が、吉方位や吉神より多くて働きが強いならば、転居すれば転居するほど、数学的な確率論的には不幸になりやすいと言うことである。
しかし、現実にはそうはなっていないのである。

例えば、凶方位とその力量60〜70%、吉方位とその力量30〜40%ならば、確率論的に転居すればするほど、凶方位に行って不幸になる可能性が飛躍的に高くなる。
それは実際には論理的ではなかろう。
そうすると、地方から都市に出稼ぎに出ると不幸になる可能性が高まることとなり、実際にはそうした統計データを私は見たことがない。

ところが、奇門遁甲も九星気学も凶方位とその力量60〜70%、吉方位とその力量30〜40%くらいであり、やはり現実と照らせば、あまりに不自然極まりないと言える。
それでは、数学的には引っ越せば引っ越す程不幸になってしまい、不自然である。
それが正しければ、生まれた家から一度も引っ越さないことが、数学的にも、最も幸福になると言う馬鹿げた結論になってしまうではないか?

しかし、五黄殺・暗剣殺・破れ等の凶神ばかりを殊更に強調するのではなく、歳徳神・歳徳合等の様々な吉神や十二支の合や並び等にも注目すれば、吉方位はかなり増えて、不自然さは消えるのである。
多くの方位術が凶方位ばかり乱発して、吉方位があまりに少ないのは、やはりどう考えても不可解としか言いようがない。
これでは、身動き自体がほとんど取れなくなってしまい、本末転倒であり、方位教の奴隷になってしまう。
無論、この論理的な考えが唯一の正解だとまではまだ言えないが、ある程度の解にはなっている可能性が高い。