本能寺で活躍した、Black SAMURAI 彌助(ヤスケ)。 | ナツレのツレヅレなる何か

本能寺で活躍した、Black SAMURAI 彌助(ヤスケ)。

最近ずっと、画像生成AIの『Midjourney(ミッドジャーニー)』や『 stable diffusion(ステーブル ディフュージョン)』で戦国時代の侍とか甲冑とか描かせて遊んでいます

より最新AIですごいと評判な『 stable diffusion 』さん。しかし、和服女性など現存する風俗の再現は得意なのですが、映画や博物館でしかお目にかからない甲冑等は不得意なようす。

以前ネタにした中国とのリージョンコードもあやふやなので、なかなか良いのが出来あがらず苦闘中。

この点はMidjourneyのほうも同様なのですが、黒澤明や時代劇の蓄積があるようで、それなりな出来をタマに出してきてくれます。

そんな中ふと、今度映画にもなりNetflixでアニメにもなった「BLACK SAMURAI YASUKE」をインプット。

 

おーカッコいいのが出てきた。

って、ことで彌助(ヤスケ)様のご紹介。

 

 

彌助(やすけ)、彌介、本名は不明。

信長に仕えた黒人の侍。出身はモザンビークかスーダンと言われている。

踊りが好きで、スワヒリ語で英雄を称える「ウテンジ」を披露したとのことから、現在はモザンビーク説が有力視されている。

 

インド管区巡察使ヴァリニャーノに同道し来日。市井で評判になる。

天正9年(1579)2月13日、オルガンティノの伴をし織田信長に面会。「きりしたん国より黒坊主参り候。年齢二十七、八歳にみえる。その身の黒きこと牛のごとく、かの男健やかな器量なり。しかも強力十の人に勝りたり」とい信長公記に記されている。

黒人をはじめてみた信長は、墨を塗っているのだと疑い身体を水で洗わせるよう命じた。ところが、洗ったところさらに青黒く輝きを増した肌を見てようやく納得したとのエピソードは有名(日本巡察記、フロイス日本史)。

信長はとくに頼んで譲り受けたという。そして、帯刀を許し奴隷としてではなく扶持を与え信長の近習として侍に取り立てた。

 

松平家忠日記の天正10年4月19日に信長が「くろ男御つれ候。身はすみのごとく、丈は六尺二分、名は彌助」とある。

同年4月の甲斐の武田勝頼信勝父子を攻める甲州征伐にも従軍したとある(家忠日記)。

 

同年6月2日、明智光秀による本能寺の変の折も信長に同行していた。ただしその後、二条御所で信長の嫡男信忠の元で明智方と戦っている姿が目撃されていることから、本能寺から脱出し信忠と合流したとみられる。変に際し信長が信忠の元に使者を走らせたとの記録があることから、これが彌助ではないかとも考えられている。

かなり長時間に渡って奮戦したが、やがて明智方より「恐るることなくその刀を差し出せ」と投降を勧められそれに従った。その処遇について光秀の裁可を仰いだところ「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でない故、これを殺さず、インドのパードレの聖堂へ置け」と命じられ解放された(フロイス「日本年報追信」)。

その後消息はようとして知れない。

 

本能寺の変の詳細を知らせるフロイスへの報告書の中には、信長に近侍していた者でないと知り得ない内容も多い。そこから、この情報をもたらしたのが彌助ではなかったのかとも考えられている。

 

 

明智光秀が彌助を捕らえた際に言い放ったという「黒奴は動物で何も知らず~」の部分。強く印象に残る文言なので私見を挟んでおきます。

この文言を「当時の日本人」が“黒人”をどうみていたかと簡単に流して終えてしまう論調が多く疑問に思いました。

この記事は、明智光秀を「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷な人物」と描いているイエズス会による報告書の中のものです。ですのでこれは、光秀を貶めるために書かれた文言と捉えるべきでしょう。

また、そもそも弥助のことを「恩知らず」「背教者」の意味もある”カフル人”とナチュラルに書くような時代背景ですので、とくにそこまで意図はない接頭語の可能性もあります。

 

今から見れば当時は被差別民などがあたりまえに存在し、差別的な習慣をもつ人々だったとみなされるでしょう。しかし、そもそも当人たちに差別意識というものがあったかすら不明です。(現代視点で見たらそれこそが怖いのですが)

宣教師カブラルなんて日本人を「傲慢で貪欲で不安定で偽善的」と平然と言ってのけています。また、日本人側も宣教師など「日本の習慣や主教のことを何も知らぬ無知な異国の連中」と冷ややかに言い放っていますし・・・。

そもそも中世では家門や身内が優先され、日本人としての帰属意識も希薄だったとされています。右矢印 本多佐渡さんなんて身内からも・・)。なのでこの言がホントだったからといって家門に帰属していない者として悪しざまにしたダケでしょう。好意的に取れば、むしろ小物や被差別者とみなすことで解放する口実にしたともみえます。

 

差別あたりまえの時代ですので当時の日本人が差別的な点は否定はしません。というか、おおいに差別的でした。

ただ、史料を批判する場合は、その書かれた背景も探って考察されています。ところがこの記事に関してのみ、当時の日本人の黒人への姿勢として簡単に解釈して済ましてしまっている論調が多いことに違和感を覚えたので一家言。

 

最後に・・・。この弥助、信長のお気に入りで帯刀どころか屋敷も与えられておりました。そのためすでに家臣も養っている身分だったと推定されます。その後の本能寺の変さえおきなければ「ブラック サムライ」どころか「ブラック ダイミョウ」が誕生していた可能性が高く、そしたらどのような統治や治世をみせたのかみてみたかったと思うのは私だけではないでしょう。

 

 

 

 

さて、今回AI絵師さんに絵を描いてもらって、その間に文章かいていたので時間短くてすみました~。

ただ、絵の時間はいつも4~5時間程度ですが結局AI絵師も色々注文してしまうので描くのと同じくらい時間かかってしまいました・・・。まぁでもなんとなく絵が増えて豪華にみえるので良いか。

 

・・・でも、反対に物凄くお絵かきがしたくてたまらなくなってきたのはナゼだろう。

 

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