姉が統合失調症になった経緯 | 別居・DV・浮気に悩む妻たちへ☆~愛ある家族になりましょう~

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こんにちは。芙蓉です。



統合失調症について

ブログに書いたら


思いがけず


「私の兄弟も」「私の親族にも」

と、統合失調症にまつわるお話を

聞かせていただく機会が増えました。



今、日本で

統合失調症は0.7%と言われているそうです。


つまり、1000人に7人❗️

ということですよ。



そんなに珍しい病気ではないんですね。



しかし、私の周りで聞く統合失調症の話は、


かなりなことをやらかして

家族・親族のみならず

警察などにもお世話になるレベル。



本当に、1000人に7名もの人が

病気のせいで警察のお世話になるのか?


…と思うと、


本当にそんなにいるのか?と

疑いたくなります。



今日は、私の姉の場合の

統合失調症になった経緯を

お話ししようかと思います。


長くなりますが、お付き合いください🍀




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うちの姉の場合は、


知的障がい、自閉症の二次障害として

20歳ころに発症したと思われます。


小学校に入る前の就学児検診で


知的にも普通の小学校は難しい、

と言われていたにも関わらず、


うちの親は普通学級に姉を入れました。



幼い頃の私の記憶では、

姉は天才的なところもありました。


パズルを裏返しにして

パパパっと一瞬にして、はめてしまったり。


日本地図の県名と県庁所在地を

全部暗記していたり


分厚い広辞苑を読んでいたりと


頭が良いのか、悪いのか

よくわからない感じだったんですよね。


自閉症の特徴?



よく癇癪を起こし

ある特定のものを異常なほど怖がり


残酷なことをして

面白がって大笑いするようなところもありました。



私が買ってもらったリカちゃん人形も

ある日幼稚園から帰って来ると


頭や手足が胴体から引きちぎられていて、

髪の毛はハサミで坊主にされ

顔はマジックでぐちゃぐちゃにされていました。


私が呆然としていると、

横から姉が笑い声をあげて


「どう?面白いでしょう?」


と言わんばかりに見せつけてくる…というような

行動をとりました。



姉には、悪気はない。


姉の中では、それが面白いことだったのです。


それが、どんなに私が傷つくことなのか?など

まったく想像もしていないのでしょう。




そんな姉は

学校で友達とうまくやって行けるわけなど

ありませんでした。


友達ができないのは、もちろんのこと


ひどいいじめを受けるようになりました。



怪我をして帰って来たり、


教科書を頻繁に隠され

無くして来て

母が大騒ぎしていました。


母は授業中の学校に激昂して乗り込んで行き、

姉をいじめた生徒を呼び出し

「謝りなさい‼️」

と直に詰め寄ったこともあったようです。


それでも、いじめはなくならず、

姉は孤独な小学校・中学校生活を過ごしていました。



突然家出をしていなくなって

家族みんなで心配したこともありました。


家の中で泣き叫んで手がつけられないような

そんな不穏な日々が続きました。


でもまだ、祖父母が生きている時は良かった。


姉が中学生の頃に祖父母が他界し

それから姉の孤独は更に深刻になったのでしょう。


少しずつ少しずつ


姉の心は病んで行ったのだと思います。


だんだんと、暴力がひどくなり


父のことを包丁で刺すという事件が起きました。


私が学校から帰ると、

父が和室に倒れていました。


血の海の中で…


一瞬、何が起こったのか

理解できませんでした。


その時、たまたま母が、秋田の実家に帰っていて

父と姉が2人きりになっていたのでした。


姉は父のことが嫌いでした。


姉のこともよく知ってくれている

近所のお医者さまに

父の手当てをしてもらいました。


特にその時は警察沙汰になることもなかったけれど、


後から姉にそのことを聞くと、

姉には、父を刺した記憶がありませんでした。


嘘をついているわけではなく、

本当に、記憶がないのだと思いました。


むしろ父の自作自演を疑いたくなるほど

姉の態度は、ピュアでしたから。




それからも、姉の暴力は時々繰り返されました。


きっかけは、思いもかけないこと。


過去の出来事を急に思い出して、

機嫌が悪くなって

突然暴れ出す感じです。



私がターゲットになったこともありました。


母から

「お姉ちゃんを刺激するようなことを言うから‼️」

と、ものすごい目で睨まれたけれど、


「こんなことで怒るなら、

もう、私、何も言えないじゃない‼️」


と、逆ギレして叫びたい気分だったのを覚えています。



真夜中に襲撃を受けました。

まるで、ホラー。


危機一髪で部屋に逃げ込み、

鍵をかけました。


数分間、ガチャガチャとドアを開けようとする

ものすごい音が響き渡りました。

その後、

私の部屋の前に、大量の小麦粉と牛乳と卵?がぶち撒かれていました。


その中に、包丁が突き刺さってました。


まさに、狂っている…というしか、ありませんでした。



その後、母にもすごい暴力があって、

母は小麦粉まみれ、牛乳まみれにされた、と聞きました。

(逃げ遅れたのでしょう。包丁で刺されはしなかった)


いよいよ、姉は

精神病院行きとなりました。


精神病院から帰って来た日。


あの、気丈を絵に描いたような母が

泣き崩れていました。



おそらく、あの時はじめて


分裂病…今でいう統合失調症の診断が

下ったのだと思います。



姉は錯乱の後の、妙に大人しい

怯えたような表情でした。


その日から、姉は精神薬を服用するようになりました。



暴力に困っていることを

母が病院で訴えたので、


まずは暴力抑える薬が処方されたのかと

思いました。


夜、私は姉が倒れる音で目が覚めました。


おそるおそる廊下に出てみると、


トイレに行った姉が

パジャマのズボンもパンツも上げることができないで、


お尻丸出しの状態で

顔から廊下にぶっ倒れて、鼻血を出して

泡を吹いていました。


低いうめき声をあげて。


私がどんなに声をかけても

身体を動かそうとしても


姉の身体は硬直していて

動かすことができませんでした。


そのまま、救急車を呼んだのか?

朝までそのままにしておいたのか?



その時の記憶はないのですが、



とにかく、その薬を飲むのは危険すぎるということで


別の病院にうつることになりました。



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姉が統合失調症になった経緯は、

こんな感じです。



皆さんの周りの、統合失調症エピソードは

どんな感じだったのでしょう?


誰かの、参考にならば幸いです。





今日、姉に作ったお弁当です。