カウンセリングで、心の奥を見させて頂いた時、
「愛したいのに、愛せない」
「信じたいのに、信じられない」
という気持ちが強くあり、幸福感を妨げていることがあります。
これは、相当に苦しい状況です。
愛したい…も本当。
愛せない…のも本当。
2つの相反する気持ちが、引っ張り合いをしているようなもので、
心が千切れそうになっているんですね。
「許したいのに、許せない」
というのも、そうです。
もう!
そんなモン、さっさと愛したい気持ちを優先させて、幸せにならんかい!
…と言いたいところですが、なかなかそうは行きません。
人間、気がすむまで、
愛せない!信じられない!許せない!
を味わわないと、次の段階に行けないという事もあるようです。
それは、他人が動かせることではなく、
本人の魂が決めていることのような気がしてなりません。
一生愛せないまま、信じられないまま、許せないままに終わる…そういう人生もあります。
それはそれで、本人が魂で「今世ではこう」と決めていらっしゃるのだから、仕方がない。
本当は愛したい気持ちがあることに蓋をして、
憎みながら、苦しみながらも折り合いをつけて、
納得して人生を終えられます。
愛せない、許せない気持ちを忘れたことにして、向き合わないように終える人生もあるでしょう。
そういうものがカルマとなって、魂に残って行くものかと思います。
すべて、自分の自由意思ということですね。
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私と夫は、今世では「許し」を成就するために結婚したのかな、と感じました。
お互い、「許せない」という気持ちに苦しみました。
わたしも許せなかったけれど、夫もまた私を「許せない」た苦しんでいた時期があったのです。
穏やかな関係が戻ったかと思えば、急に爆発して怒り狂ったり…
あの頃の夫は、とても精神的に不安定でした。
夫はあれこれ考えるタイプではないので、
「許そう」と思ったり、「手放そう」と決心したりすることはなかったのかもしれませんが、
私が怒り狂う彼を受け入れると覚悟を決めた時から、
いつの間にか手放して行ったような気がします。
怒っていてもしょうがない…って感じになって行ったのかと。
夫婦関係の場合、どちらかが心の壁から出て丸腰になると、
相手も自然とそうなって来るという法則があります。
振り返って思うのは、あの時私は夫を丸腰にさせる為に許したわけではないこと。
夫を良くしてやれ、という気持ちでしたことではなかったのです。
自分の魂が許したいと願っている。
だから本当に許せたし、それが夫に浸透したのだと思います。