3年前に家族4人で和合に越してきたmahoちゃんは、

bar be papa (バルバ パパ)」という屋号で、

オーガニックのお菓子と天然酵母パンを販売している。

 

工房を始めたきっかけは、

当時保育園児だった長男くんに

素朴で美味しい材料で作ったおやつを

食べてもらいたかったから。

 

徐々につながりが増えて、

最近は予約や定期便のお客さんで

平日は工房にこもって大忙しだそう。

 

 

和合小学校の運動会のパン食い競争では、

「バルバパパ」メイドのあんパンが出てくる。

 

また、クリスマスやハロウィンなどのお楽しみ会には、

mahoちゃんがクッキーを焼いて持ってきてくれる。

イベント系の日が登校日の笑’にとって、

それはひそかなお楽しみだ。

 

それにしても、公立の保育園や小学校で、

オーガニックなおやつやパンが出てくるって、

なかなかないだろうなあ。

 

 

 先日、mahoちゃん一家4人がうちに寄ってくれた時に、

うちで余っている大根や、

いっしょに殻剥きしたピーナッツを作業お礼がてらあげたら、

次の週に酵母パンとスコーンに化けて返ってきた。

 

 

さらに、笑’は触発されて、

 

 

粉だらけになりながら作ったものは、

母の育てる根菜同様、爆発気味なものの、

味はりんごの甘みが生きて美味しかった。

 

 

 

mahoちゃん、ありがとう♪

 

 

 

 

 

 2年前に家族4人で越してきたkaoriちゃんは美容師で、

和合で3人目の出産を経て、おちびさんを抱えながらも、

希望があれば自宅へ出張する美容室を開いている。

 

 

 

地元の年配の方にとったら、家まで来てもらえるのは嬉しいだろうし、

「和合価格」と称して、びっくり価格でカットしてくれるので、

この1年、私も久しぶりにショートヘアで過ごした。

 

kaoriちゃんの家族がこれから暮らしていく、新しい古い家は、

現在パートナーのIくんが、せっせと改修中している。

→kaoriちゃんのブログ

 

道から少し川に向かって降りた敷地風景は、

私達が以前暮らした「なかや」を思い出す。

 

 

 

 1年前に家族5人で越してきたsayoちゃんは、

週に1回、町内のカフェでヨガ教室を始めた。

また、地域内のお年寄りの施設でも働き始めたことも聞いた。

 

 

 

 同じく1年前に、和合小学校の親子山村留学で

娘ちゃんと和合にやってきたkanarinは、自然育児系の保母さんで、

最近和合内に数名いる幼児さんを

個人的ニーズに合わせた日にち、時間で預かるようになった。

 

それも、

ダメダメ~!を連発したり、

大人の誘導でなにかやらせるのではなく、

子どもから自然に出てくる行動を穏やかに見守り、

そのままのその子を温かく受け入れてくれる。

 

この山奥の集落に、そんな小さな小さな無認可の保育園がある。

すごいことだな~と思う。

 

kanarinのブログ

 

 

 

 和合は、街から離れた山奥にあるけれど、

こうして移住した30代の子育て中のお母さん達が

自分のやりたいことや資格を生かして

地域の中でゆるやかに

自分や家族のペースを大切にしながら働き始めたこと、

 

もちろんお父ちゃんズの協力があってのことながら、

素敵だなぁと思う。

 

 

 

2月最後の日曜日、

「今日から土壁を塗る」と宣言して、

冷え込みが強くなって中断していた作業部屋作りが

また再開した。

 

 

お風呂作りの時に、解体した家で出た土壁の土が

まだ残っていたので、

それに切った藁を入れて水を加えてよく練る。

 

 

 

綯っておいた藁縄。

これにも相当時間がかかっているはず。

 

 

わたし的には、土壁を塗る前の、

この竹と藁で編み込んだ小舞が好き。

 

切ったばかりの青竹の緑がすがすがしくて、

しばらくこのまま土を塗らなくてもいいのではないかと

思ってしまう。

 

土をかぶせてしまえば見えなくなるこの小舞を、

Jirは、キチ~ンと、

そんな音が実際鳴ってるんじゃないかと思うくらい

丁寧に仕上げる。

 

 

 キチ~ンといえば、

こちら、将棋の駒。

 

今まで使っていたものは、たしかWacの小学生の頃の作品で、

なくなったり、カビたりしてきていたので、

今回Jirが作ることになった。

 

 

ここまでは美しくキチンとしたものを

サクサク作った。

 

問題は字。

 

ご近所さんにお願いしようかとも案もでたけど、

「字の練習、こういう時にしないとやりそうもないから。」

と、自分で書くことにした。

 

ネットで見本をコピーして、練習。

 

 

裏文字用に、赤い筆ペンも購入。

 

本気度高~い(笑)

 

 

取った駒を置く台も兼ねた

駒入れの箱も作る。

 

 

 

 

 

箱はきれいに重ねることができて、

出来栄えも上々。

 

そして、できあがってからは、毎朝勝負♪

 

 

歩と金と王だけで、笑’と対戦。

 

ここのところ、笑’も上達して、銀も増やした。

 

 

 

 

 

 最近作っているのは、和合小学校の玉入れの籠。

 

2年前、卒業制作で作ったものは、

まだ作りが甘かったらしく、

早々に壊れ始めているのを学校の倉庫で発見。

 

この冬の間に作り直すことにした。

 

これまたキチ~ン♪

 

 

最近雰囲気がどんどん変わっているJir。

 

身も心も成長していますが、

その成長ぶりは、作品達にもよく表れていると思う。

 

 

 

 

===============

毎年、冬の間ネットでオープンしている

我が家の小さなお店さわんど。

 

今年もおかげさまで、

どの商品もほぼ在庫がなくなってきましたので、

7月の藍の生葉の販売までお店はお休みとなります。

 

たくさんのご利用を、ありがとうございました。

 

なお、3月いっぱいは在庫分の販売で、

お店は開けています。

よかったらご覧ください。

 

→→→さわんど

 

 

 

 

 

 

笑’の和太鼓のバチが

使っているうちにヒビが入ってしまったので、

Jirに続いて自分で作ることになった。

 

 

カンナくずだらけになりながら、

 

 

ひたすら削る。

 

 

 

「なんだか思うようにできない・・・・」

とため息をついた時、

そこに通りがかった兄曰く、

 

「最初からうまくいくなんて、思わない方がいい。」

 

アドバイスというか、トドメ~~。泣

 

そして実際、

一組目は2本の太さも長さも違って、

最終的に調整がつかず、

どうにもこうにもいかなくなってボツ。

 

丸々2日くらいかけたものは、

薪になった。

 

 

 

 今までの笑’なら、

これで終わってた気がする。

 

ところが翌日、自分から再開。

 

 

 

綺麗な丸棒にするのは、

なかなか難しいと思う。

 

 

かなり完成間近になったころ、

再び兄、曰く、

 

「木の種類そろえてないんだ。

 これじゃ、重さが変わっちゃうよ。」

 

またしても・・・・・

 

それ、もっと速い段階で言ってほしかった、よね・・・・

 

 

 

持ってみるとJirの言う通り、

やっぱり重さが違う。

 

これ、使いにくいぞ、と思うけど、

「やりにくかったら、また作ればいいもん。」

と、その週の練習はこれを使うことにした。

 

「作ってると、びゅんびゅん時間が過ぎるね。」

 

そうだね、かなり集中してたもんね。

 

「木で作るのって、前はもっと大変だった。」

 だいぶ面白くなった。」

 

 

 

この日はそのまま手打ちうどん。

 

 

 

 

 

「前よりうまくできた♪」

「もうゆでるのもできちゃう♪」

 

 

 兄妹の一番下。

 

兄達はみんな、自分より上手に

手早くなんでもできる。

 

笑’が幼い頃なら兄達はフォローしてくれたり、

代わりにやってくれたけど、

今は、笑’には少し厳しめな指摘をする。

 

兄達の言うことは最もなのだけれど、

そしてそれがやる気の素になればいいのだけれど、

笑’には逆効果なことも多い。

 

 

 兄妹、下にいくほど

自信がつくかまでに時間がかかるな~と思う。

 

それでもこの頃、

色んな事が初めからうまくいかなくても、

だんだんできるようになっていくことを、

自分でもわかるようになってきた。

 

そしてそれが面白いということにも、

気づくようになってきた。

 

 

 

 少しずつ

笑’の中でも育っているもの。

自分で育てているもの。

 

このまま見守りたい。

 

 

 冬の間、枯れていた葉野菜から、

新しい緑の葉が芽吹きだし、

雨が降るごとに大きくなってきた。

 

 

株の大きいものは菜の花用に残して、

周りの小さな葉を選んで採っていく。

 

今までは菜の花を待っていたけど、

この方法なら早めに菜っ葉が食べ始められることに、

今更気づいた。

 

 

久しぶりの畑に、

久しぶりに腰を下ろす。

 

しゃがんで、土が近づいた時のこの感じ、

やっぱりいいな~。

 

一人嬉しくなる。

 

ねぎも、新しい葉をのばしていて柔らかくておいしい。

 

アサツキも元気にツンツンしてきたから、

小さめながら少し掘った。

 

あさつきはその場でちょっとかじってみる。

強い野性的な春の味。

 

 

 

 時満くんの醤油搾りも、

東京遠征を終えて終盤へ。

 

ここ数日は、四国から旅してきたHちゃんの家の醤油搾り。

 

 

 

すっかり仲良くなったこの二人、

いつもいっしょにいて、

ずっと食べてたね。(笑)

 

 

 

 

そして今日からは、

予約の味噌作りに向けて麴作り。

 

 

静かにのんびり過ごしていた毎日も、

これにて終了。

 

作付け計画を見直して、

種の整理をしているうちに、

緩みまくっていた身体も気持ちも、

だんだんシャキンとしてきた。

 

イイ感じ♪

先日、和合小学校ではと5年生の授業で炭焼きをした。

 

5年生のTくんの家にはうちと同じでガス台がなく、

炭で毎日料理をしているので、

炭は暮らしの必需品だ。

 

Tくんは低学年の頃から、自分で炭を作る計画を立てていた。

そして、ついにそれが実現することになった。

 

 


うちは薪ばかりで炭をほとんど使ってこなかったので、

炭や炭焼きについては、これまで正直気持ちが向いていなかったが、

今回せっかくの機会だし、点火の時に見学に行くことにした。

 

ちなみに、笑’は4年生なので

娘のクラスの見学ではない。


和合小学校では、授業参観でなくても、

このような見学者をウェルカムしてくれる。

 

この日、私のように興味をもって集まった保護者は他にも2人。

 

 点火の時は学校中の子ども達合わせて7人と、

先生方も全員顔をそろえた。

 


 炭焼き窯は、用務員のIさんが作った。

Iさんは70歳半ば過ぎ。

和合育ちの元大工さんだ。


点火する前にどのようにこの窯を作ったのかを聞かせてくれた。

 

窯の作りをみてみると、

囲いの丸太の固定に鉄芯は使ってあったが、

なるべくお金をかけないように、

ブロックを使ったのは焚口だけで、

窯本体はドラムカン、

窯の囲みも丸太や石を使い、

屋根は古い看板などありあわせのものを駆使してあって、

Iさんの工夫がよく解った。


 あちこち覗いて全体の構造を見たJirが、

「どうしてこんなに煙突が短いんだろう?」と言ってきた。

 

そうなのだ。

窯から上に伸びて見える煙突部分は、目検討で1尺くらい。

うちで使っているお風呂やかまど、ストーブなどに比べたら、

ダントツに短い。

煙突が低いと煙が吸い込まれずに薪がうまく燃えていかない。

煙突を伸ばして成功した経験が

かまどでもストーブでもあった。

 

Jirが直接Iさんに聞いたところ、

焚き物がよく燃えて窯の中が高熱になりすぎると、

炭にする薪が燃えてしまって灰になってしまう。

そうならないように煙突の長さを短く調整する

という答えがかえってきた。

 

なるほど~。それで納得♪

 

 

「ただこの長さでうまくいくかどうかは、

 やっぱり実際にやってみんとわからん。」とニヤリ。

 

Iさん自身もこの窯を作るにあたり、

地域に残る炭焼き窯を実際見に行ったり、

かつて炭焼きしていた人の話を参考にしたそうで、

煙突の長さも悩んで決めたらしい。

 

またIさんは、

「炭ができあがる頃になると、

 いいにおいが辺り一面、遠くまで広がる。」と、

かつて炭焼きが、

この地域のあちこちで行われていた頃の話もしてくれた。


この日、普段無口なIさんが生き生きと話す様子が、

私にとってなにより印象的だった。

 

「やっぱりI先生はすごいな。」

 

Jirは5,6年生の間和合小学校に所属していたが、

慣れない学校生活は戸惑いの方が多くて

2年間、ほとんど通わなかった。

 

その中で、Iさんのことはよく話題にしていた。

Iさんは、Jirが知りたかった山のことや樹の種類やきのこのこと、

木工のことなど、なんでも知っていて

聞けばいつも丁寧に教えてくれたらしい。

 

うちでわからないことがあると

「今度学校に行ったら、I先生に聞いてみる。

 I先生なら知ってるよ。」

と話していたことを、私も覚えている。

 

子ども時代に、この人すごい、かなわないと

思わず尊敬しちゃう大人がいるのって

大事だなと思う。

 

Jirにとって、Iさんはそういう存在だ。

 

 


 5年生の2人は、担任の先生の指導の下、

切って用意してあった樹を玉切りにしたり、斧で薪割もした。

 

2日間、夜の窯の様子も、

先生や親といっしょに交代で見に行ったと後から聞いた。

 

 

 できた炭は、今年和合小学校では6年生がいないため

卒業式にかえた「進級を祝う会」を行い、

その時にみんなで五平餅を作る時に使う予定とのこと。

 


 

 和合小学校に通う子ども達のほぼ全家庭では、

日常的に、なんらかの形で薪や炭を使う暮らしをしている。


そのこと自体、今では珍しいことだろうけど、

自分で炭を作ろうと思う生徒、

実際それを授業に企画する先生、

それにGoサインを出す校長、

そして実際炭焼き窯を作ってしまう用務員さんのいる学校、

 

全国的にも珍しいだろうなあ (笑)

 

 

和合小学校HP

親子山村留学 募集中

 

 暖かかった日、

スキー場のバイトが半日で終わって帰ってきたFu。

 

突然空いた時間を何に充てるのかと思っていたら、

「午後は薪割だ!」と、

ごはんを食べ終わったら、早々にチェーンソーを出してきて、

先日みんなで運んだ樹を薪サイズに切り始めた。

 


 

いやぁ~、

若さでしょうか、

持前の勢いでしょうか、


 


私はこの日、家の中で自分のことをして過ごしていて、

静かになったなあと思ってふと窓から外を見たら、

3時過ぎにはもう全部割り終えていた。


 

 Fuが薪積みしているところに、

竹籠作りが一段落したJir登場。


 

「な~にぃ~! もう全部やったの?(笑)」

 

兄のスピード作業に、私と同じように驚いて、

そのままいっしょに積み作業に加わった。


 


 

しばらくして、まだ割ってない丸太を発見。


節があって簡単には割れないもので、

uは諦めたのか、それだけ割らずに残っていた。


 

「へへへ~、オレ、これやる♪」


 

と、小走り。

 

再び戻ってきた時に手にしていたのは、

大きいくさびとハンマー。


 


何度もハンマーでくさびを打ちこんでいくうちに、

少しずつ裂け目ができていく。

 

斧で割れないものは、いつからかこうやって割るようになったのだが、

当然斧よりも時間がかかるし、

モノによってはなかなかの根性仕事。


これができる、

というか、自分からやりだすのがJir


 


 瞬発力の兄とコツコツ型の弟。

 

ナイスコンビだなと思う。

 

ここに段取り王のWacが加わると、

さらにスルスルと作業が進んでいく。

 

お互いの得意分野をお互いに解っていて、

誰がリードするでもなく、

うまく仕事を分担するようになった。

 

もちろん始めからこうだったわけではなくて、

3人とも大きくなって、

同じレベルの仕事ができるようになった、ここ1~2年の話。

 


「とき、これ見たら驚くぞ♪」

 

この時、家の主は醤油搾りのお仕事で遠出していて、

数日家を空けていた。

 

行く前に家前に積んでいった丸太が

戻ってきたら薪になって積まれているのを見たら、

そりゃ驚くし、うれしいだろうな。

 

そういうサプライズを仕込む楽しさを

子ども達はいつの間にか心得た。

 

 

 

 

 子ども達の働きのおかげで

冬の間に減った分の薪は充たされた。

 

その必要性も安堵感も喜びも、

子ども達の成長とともに、

これまたいつの間にか家族で共有する

当たり前の思いになった。

 

 

 今朝、子ども達が朝ごはんを食べている時に、

Fuが数年前、居間の窓から見える樹の枝に取り付けた巣箱に

シジュウカラが出入りしているのを発見した。

 

「もう完全に冬が明けたね。」と話す。

 

まだこの先雪は降ることはあるだろうけど、

強い冷え込みは、おそらくもうない。

 

日中の気温が上がってきて、

身体の縮こまりがほどけて、

ゆるやかに身体のあちこちの細胞が活動しようとし始めた感覚と、

まだじっと閉じこもった状態から抜け出すのを名残惜しんでいる感覚が

体内で同居している。

 

寒いからと先延ばしにしていたけれど、

温かくなる前にやっておいた方がいいこと、

畑に毎日出るようになる前に、済ませておきたいこと、

順番に予約が入っている味噌仕込みのための、麴作りの準備・・・

 

毎日少しずつ片づけているものの、

正直おっくうで手をつけたくないものもあったり、

まだあれもこれも残っている。

 

今年も3月は、こんな風に、

そわそわしているうちに過ぎていくのだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、明るくなるのが早くなったな、とか、

あ、イヌフグリ、とか、

キツツキの初ドラミング聞いた、とか、

吹く風があったかい、とか、

 

1日のどこか、

日常の色んな場面で

春を感じ始めている。

 

 

 ストックしている野菜達も春に向かっているようで、

むろ内の人参や大根は、へたのところから葉が吹き出して、

ハウスの中で秋にこぼれ種から自然発芽したアブラナ科の葉物も、

トウ立ちにむかって青々し始めた。

 

毎年この時期は、

しわしわになってきたりんごを煮て瓶詰めにしたり、

芽がで始めたにんにくの皮をむいてお酒に漬けたり、

唐辛子をすぐ粉砕できるように、ヘタと種を取っておいたり、

暖かく湿気のある時期になっても

長く保存できるような加工作業をのんびりペースですすめている。

 

 

今年はこの作業に笑’さんがいい感じで活躍中♪

 

りんごの瓶詰めは、おやつ作りに使えるので、

笑’’としても自分事らしく、

笑’が煮りんごを作っている間に、私は瓶の熱湯消毒を済ませた。

 

加工品作りが共同作業って、かなりラク~♪

 

 

 干しリンゴは、いつの間にか作ってるし、

すっかり加工係仲間♡

 

 

 

 今年は落花生をまとめて炒っている。

今年から、殻を先に割る方法に変えた。

 

なので、まず殻割り。

 

週末に2年生コンビが歩いてやってきて、

私が殻を割っていたら「手伝う!」と言ってくれたので、

 

 

その心意気がうれしくて、

「剥いた分、お土産で持ってったらいいよ。」

と言ったら、がぜんやる気になったのが面白かった。

 

うちに遊びにやってくる子ども達は、

このように我が家の作業に巻き込まれることが多い。(笑)

 

 

 

ところで、最近まで知らなかったのだけど、

殻付きが落花生で、殻むいたのがピーナッツというらしい。

 

 

炒りながら時々炒り加減を確認、

と称して、炒りたてのピーナッツをもりもり食べる。

 

 

「思わず食べちゃうよ~~。手が止まらないよ~~。」

 

これはかなり嬉し楽しい時間。

 

 

これを真空パック。

これで1年分ストック・・・の予定。

 

初めてなので、どうなりますか。

おっ楽しみ~~♪

 

殻割りが一番大変かなあ。

まだまだ続くのでガンバリマス。

 

 

 

 

 

 

 

 4年前の引っ越しで、母屋の横に連れてきた鉄骨小屋の骨組みは、

Jirが産まれた年に「自分で解体するならあげるよ。」と頂いたもので、

 

ベイビーJirをおんぶしながら、

当時6歳のFuといっしょに鉄の柱を運び、

わたし的にはまさかの脚立仕事にも加わって、(← 高い所苦手)

丁寧にサビ止めまで塗ったので、

ある程度愛着があった。

 

引っ越しによって母屋の広さは1/5くらいに減り、

3つ使っていた納屋も、離れの家もなくなって、

 

持ち物は随分減らしたものの、

野ざらしにできないものの置き場として、

この鉄骨小屋はいち早く活躍した。

 

 

 4年経つうちに、

物達も人達も、それぞれの居場所ができて

随分収拾がついてきたところで、

ようやくこの小屋を

使いやすい状態に手を入れることになった。

 

 

屋根をのばしたあと、基礎作り。

 

 

笑’もかなり活躍。

 

 

ノミの使いっぷりも、ずいぶん上手くなって、

すっかり作業者の1人。

 

 

壁を張って、窓もつけた後の床貼りには、

インフル後でバイトを休んでいたFuも加わって、

一気にペースUP.

 

 

 

この作業で、

いつか使うから、ともらって、

物置の場所をかなり取っていた床板が活躍。

 

窓も、台所につけるつもりで解体現場からもらってあって、

4年間出番待ちしてたもの。

 

 

これで物置が片付く。

 一石二鳥~♪

 

 

 

 

 

 

 ふとこの小屋の骨組みを連れてきた頃の写真が見たくなって、

探してみた。

 

いっしょに出てきたのは、4年前、

ここに暮すことが決まって、

初めて刈り払い機を持ってきて作業した日のこの1枚。

 

奥の山に向かって軽トラ1台と通れるほどの

道らしいものがなんとかあったくらいで、

家の前は凸凹の藪だった。

 

 

 

また家族全員で、

自分達の暮らしの場所を作る。

 

というか、取り戻す。

 

引っ越しまでの半年は、通いながら

みんなで少しずつ家周りを整えていった。

 

 

鉄骨小屋を建てた日の1枚もあった。

 

 

みんなが家を直している間に進めた、家の奥の畑の再生では

 

 

ひたすら切りまくった。

 

 

石垣がようやく見えた日は、

ここで暮らしていくんだなと具体的に思った日でもあった。

 

 

 

 家周りの草刈りを進める中で、

最初わからなかった水の取り口を発見した時は感動した。

 

半ば埋まっていた穴だらけの黒パイプを

とりあえず補修しながらつないで、当面使うことにし、

 

 

玄関外に設置した台所のシンクに蛇口に水が来た日。

 

 

家の中は、ほぼ全部の床下に手を入れた。

 

 

これまでの暮らしでやってきたことが、次々役立ったのと同時に、

 

 

やってみたかったことにもどんどんトライしていった毎日。

 

(子ども達3人で建てたインコ小屋)

 

越して来た時は、こんなにちびっこさんだった笑’。

 

 

 当初は移住先を四国と考えていた。

 

ちょうど5年前の今頃、

決まりかけていた土地の交渉がダメになった。

 

その時は随分へこんだし、

引っ越しのために、多くの時間とエネルギーを費やし、

それまでに得た沢山のことを手放したり、あきらめた。

 

それでも、それまでのように

日々心穏やかに家族で暮らしていくには、

移動する必要を感じて・・・・。

 

 

 

と、ここ4年を大きく振りかえっちゃったけど、

 

引っ越し前の場所で、

私達が作ってきた暮らしぶりの復活を目指しながら、

 

(崖を掘って作った野菜むろ(左)、アースバックハウス式で建てたお風呂(右)

 

必要なものを1つずつ作ってきたこの数年間。

 

(手前:石窯。奥:薪置き場)

 

 

結果的に、

手放した以上のものを得た。

 

 

 

 

 

 鉄骨小屋は、床貼りを終えた後、

棚を作り始めた。

 

4年前に、とにかく荷物を乗せるために、

急いでつけた棚をとりはずし、

工具が置きやすいように、使いやすいように作り直すとのこと。

 

 

この日の助手は笑’。

 

 

「これから工具を増やすよ。」

 

 

そうなの?

もう、作りたいものは大体完成したのかと思ってた。

 

「いやいや、これからだよ~。楽しくなるのは。」

 

まだまだ作りたいものがある。

まだまだやりたいことがある。

 

私たちの暮らしはこれまでも、これからも、

きっとずっとそんな調子で続いていく。

 

 

 

 

畑を始めてから毎冬仕込んできた沢庵。

 

初めての時から美味しくできていたのに、

和合に越して来てからは失敗続き。
 

 1年目は冷え込みの強さがわかっていなくて、

干している間に凍みさせてしまった。

そのまま漬けたら

歯ごたえのないスポンジのような、沢庵とはとても呼べない代物になって、

あきれるほど不味かった。

 

 

2年目は干す時期を早めたので、干している間凍らすことはなかったが、

冷え込みを気にしすぎて、家の中の北向きの部屋で漬けたら、

年明けの樽開けの時点ですでに酸味がでており、

最初から4月頃の味を食べ続けるハメになってしまった。

 

3年目は野外の屋根下で漬けたところ、

水がしっかり上がる前に、部分的に大根が凍みてしまった。

1年目ほど不味くはなかったが、

きちんと漬からず、生な味がいつまでも抜けなかった。

 

 そして今年こそは!と、

考えた末北の部屋の出入り口で漬けることにした。

 

扉一枚で外と隔てられていて、風が直接当たらない分

野外の屋祢下よりも寒さは防げる。

そして床は直接コンクリなので、室内レベルの温かさはない。

 

気にして時折樽を覗いていたところ、

今年もやっぱり水の上がりが遅かった。

 

漬けてひと月たっても、表面のヌカがじわりと湿っている程度で、

このままだとまた凍ってしまうと思って

お隣のイツエさんに相談したところ、

天地返しをしたらいい、とのこと。

 

味噌や醤油の天地返しはしているけれど、

沢庵などの漬物は、漬けたらほっておくものだと思い込んでいた。

 

早速樽の上面の大根が樽底に、

樽底の大根が上面になるように並べ直したところ、

数日でしっかり水があがってきた。

 

相談してよかった♪

 

そしてドキドキの試食タイムは、

 

 

思わずふふふ♪

 

4年目にしてようやく、

うちの沢庵が戻ってきた。

 

 

イツエさん、ありがとう~~♪

 

 

 

 

(太鼓のバチ作りに一工夫)

 

きのこの塩漬けは下茹でした方がいいとか、

こんにゃくを作った時にでるゆで汁は、

洗い物に使うと汚れがよく落ちる、と教えてくれたのも

イツエさんだったと思う。

 

こんにゃくの凝固剤がアルカリ性だから?

とか、私は理由が気になるタイプだが、

イツエさんにすると「そういうもの」という感じ。

 

そして言われたとおりに、

例えばそのゆで汁でまな板をこすると、

黒いスス汚れがよく落ちるし、

シンクもきれいになる。

 

 

「そういうことはみ~んな、この家に来てから教えてもらった。」

 

 母も義母も漬物は買ってくる人だし、

2人の祖母の記憶をたどっても、

孫のためにオーブンでパンやケーキを焼いてくれたけれど、

漬物樽をいじっている姿は見たことがなかった。

おそらく4人とも、こんにゃくを作ったことがないだろうし、

きのこ採りの経験もないだろう。

 

いっしょに暮していれば、また別のことを教わったのだろうけれど、

今こうして、うちの暮らしにとって必要なちょっとした知恵や工夫を、

ご近所さんからちょこちょこ教えてもらえるのは

ありがたいし、何より面白い。

 

 

今年は美味しい沢庵が食べられてうれしい。

特にストック野菜の種類が減ってきて、

おかずがマンネリ化する頃、

美味しい漬物があると、かなり助かる。

 

漬物を息子に送る母って、やってみたかったから、

ひねた味になる前に、九州のWacに送ろうかな (笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連日スキー場のバイトに行くFuから、

バイト仲間がインフルエンザで次々倒れていっていることを聞いていた。

 

去年は大丈夫だったし、

まあうつる時はうつるしね~。

たまに高熱出すのも、体には必要だから、

 

なんて気楽に話していたら、

本当にかかってしまった。

 

朝起きてこれない時点で発覚し、

すぐに隔離開始。

 

こういう時、それぞれ自分ちがあるって便利!

 

 

隔離と同時に、ホメオパシーもスタート。

本人の症状に合わせて数種類レメディを選んで小瓶に入れ、

焼酎で溶かしたものを渡す。

 

これを水筒に数滴入れて、

ちびちび飲む。

 

ホメオパスに教わったこの方法は

とても簡単で、効きもいい。

とにかくよく寝る。

 

他の家族は、小食に切り替えて、

揚げ物や冷えるものを控え,

身体があったまるものや梅干しを摂るなどして

予防線を張る。

 

 

 初日は高熱や関節の痛みやぞくぞく感、頭痛で大変だったが、

レメディが効いたのか、

今年のインフルさんが、それほど粘り強くなかったのか、

2日目には微熱程度になって食欲もUPし、

3日目には、ギターを弾きだした。

 

小さい頃から、ギターを弾き出せば、治った証拠。

 

暇ついでに部屋も片付けて、

身体も住処もさっぱり♪

 

 

 

そして4日目、

もう平気そうなので、母屋に復帰。

 

完治の仕上げはマッサージ。

 

風邪の後って、背中がカチコチになっているので、

このタイミングでほぐすと、ぐんとラクになる。

 

 

 

 3日間、Fuは「隣りに住んでるお兄さん」的存在で、

私以外の人は接触しなかったこともあって、

3年ぶりのインフルさんの滞在は短かった。

 

子ども達が小さい頃は、

誰かが病気になるとこっちも消耗したものだけど、

ラクになったなぁ~。

 

 

 

 立春を過ぎて、陽が少しずつのび始めた。

 

昨日、イノシシ音がすごかった竹林を見に行ったら、

掘り返した辺りにはやくもフキノトウ発見♪

 

早速刻んでお汁に入れた。

う~~ん、春の味 ♥

 

天気予報は雪マークが並んでたけど、

大地は徐々に春にむかってますな~。