お山のほいくえんでの大人の役割 | 否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

ずっと強い自己否定をして生きてきた私。母親になって子供たちの生きる姿に自分の生き方を見直し「否定しない」ことが幸せへの道だと知った。保育士となった私が大好きな自然の中での暮らしとともに綴るママと子どもたちへのメッセージ。

昨日はお山のほいくえんでした。
園児さんたちは、本当にこの時を楽しみにしてくれてる。
会うと飛び出してきて、おさんぽいこ〜と走りだす。
ウキウキが伝わる。
こんな時を一緒に過ごせるのは、なんて幸せなのだろう。  



この日は久しぶりに川原に行った。
行き先も子どもたちが決めた。
2人から色んな案が出て歩きながらあそこであれしたい、あそこに行きたい、ああしようこうしようと話ながら
結局流れで川原へと降りてきた。




ここでは何回か遊んでいて
私たちの中では、この岩はキッチン、この岩はベッド、ここはお風呂というのが決まっていて
たちまち川原はリビングに。



今日はキャンプしよう!ということになり、6歳さんは穴を掘ってトイレを作り、その傍ら私は石を集めてカマドを作ったら、いつの間にか鍋がグツグツ煮えていた。
ただの石でも、こうやって想像の世界を共有して想像の世界で遊べることがとても嬉しい。
自分の世界が誰かの世界とつながった感覚。
5,6歳になると、そんな遊びが楽しくなるね。





2歳さんは、水を汲む、注ぐ、石を運ぶ、投げるのお仕事に没頭してる。
納得するまで好きなようにできる幸せ。
今日は重い石を持ち上げることに挑戦してる。
いつも同じようなことをしているように見えて、少しずつ自ら課題を見つけて挑戦している。
子どもってすごい。

6歳、2歳、それぞれに自分の世界を拡大させていく遊びを見つけ没頭する姿をみると
大人は〇〇を獲得させなければ、■■をできるようにさせなければと、余計なものを差し出し過ぎなのではないかと反省する。
子どもは自分の世界を広げてくれることをちゃんと自分で見つけて自分で挑戦する。
ただそれを放っておけばよいのかといったら、それは保育ではないと思ってる。
そこにいる大人の役割は、それを見てあげること。
それを認めてあげること。
言語化して、見ているよ、わかっているよ、こんなことに挑戦しているんだね、たのしいね、素敵だね、と一緒に成長を喜びその世界を楽しむことだと思ってる。

子どもって「みてみて」って言うでしょう。
認めてほしいんです。
今、自分がやっていること、成長していること
そばにいる大人に、ただ見てほしい、認めてほしい。
一緒に成長を喜んでほしいんだ。




2歳と6歳と年は離れていて、それぞれの発達も興味にも差があるから、それぞれの楽しみに没頭する時間ももちろんあるけれど
一緒に遊ぶときももちろんある。
2歳さんの石投げに6歳さんが参加して、能力に応じて、遠くへとんだとか、2回はねたとかやってる。
能力の違いをお互い感じながら遊ぶ。

6歳さんがお風呂を作っていたとき
2歳さんも役に立ちたくて手を出したとき
6歳さんの頭の中の設計図とは違うということで「それちがう!やめて!」って怒られて
2歳さんが泣いちゃう場面があった(2回も笑)
そんなときは大人の出番。
といっても上の子にやさしくしてね、泣かせちゃだめでしょう、とか、下の子にじゃましちゃだめでしょ、とかは言わない。
大人の意見は言わない。
ただただ、この子達の心の中にあるものを
取り出して言語化して私はこうあなたたちのことを見ているよ、ということを伝える。
6歳さんには「KちゃんにはKちゃんのやりかたがあるんだよね。そのとおりに作りたいね」
2歳のTちゃんには「役に立ちたかったね。Kちゃんみたいにできるって思ってたんだもんね」
そして二人には
「Tちゃんも一緒に作りたいし役に立ちたいから、Tちゃんにお仕事をください」って6歳さんに依頼した。
二人はすんなり納得して、6歳さんが仕事を与え、2歳さんはそれに応えて緒に共同作業をやりはじめた。

大人はただ見てほっとくだけでは2歳さんは泣きじゃくるだけだし6歳さんはもうじゃましないで!と他人を拒絶するだろう。
トラブルがあったとき、こうしなさい、ああしなさい、これが正しいからあれが正しいからと大人がでてきて裁いてしまっては子どもは自分の価値観がわからなくなり大人の顔色を伺うようによいこになろうとしてしまうだろう。
大事なのは、その子の中にある思いを出してあげることだと思う。
お互いうまくいかないことがあったとき、表面的には衝突しているように見えるけれども、その根底にある思いはそれぞれが大事にしたい思い。
6歳さんはよいものが作りたいという思い。
2歳さんは役に立ちたいという思い。
その「思い」はどちらも大切でどちらも悪いものではない。
表面的に衝突してしまうのは、相手の思いがうまく伝わっていないから。
小さい子どもはまだ言語という手段ではやりとりするにはまだスキルがおいつかない。
だから大人が代弁する。
間違っててもいい。大人はこうあなたのことを感じたよ、とまずは言葉に出してみる。
間違ってたら子どもが教えてくれるから。
でも、大人は、あなたのことを見ていたよ、こう考えていたのかな、って表現してあげることで
子どもはわかってもらえなかったとしても、わかってもらおうとした大人の存在に
安心するんじゃないかなと思うんだ。

これが正解とかは思わないけれど
これが私の保育なんだ。

目の前の子どもの、表面的なところも、内面的なところも、ぜんぶぜ〜んぶ見ているよ、と
寄り添ってそばにいる大人でいたい。