映画「1975年のケルン・コンサート」を観た。

https://www.zaziefilms.com/koln75/

 

 序盤から長髪のジャズオタクみたいなおじさんが登場して、いろいろと解説してくれるから、ジャズを知らない人でも、キース・ジャレットが凄いジャズピアニストであることは、なんとなくわかると思う。

 即興を得意とするジャズピアニストでは、日本人では上原ひろみが有名で、2023年製作の邦画「BLUE GIANT」の音楽を担当していた。彼女はボストンのバークリー音楽大学を卒業していて、キース・ジャレットも同じ音楽大学を卒業している。ちなみに2016年製作の邦画「この世界の片隅に」の音楽を担当したコトリンゴも、バークリー音楽大学出身者だ。

 

 本作品は、18歳のド素人の女の子がジャズコンサートのプロモーターとして活躍する話だが、1975年というと、どこの国でもまだまだ家父長主義やパターナリズムが幅を利かせていた時代で、女性や子供をはじめとする弱者は、差別され、隷従を余儀なくされていた。

 そんな中でのヴェラの活躍だから、その度胸たるや、脱帽の他にない。ジャズについても、コンサートの運営についてもほとんど何も知らないのに、出たとこ勝負で事に当たる。リスクを考えながら行動する大人には、同じ真似はできない。

 怖いもの知らずのヴェラが、様々なハードルを乗り越えながら、家父長主義やパターナリズムと戦いながら、資本主義、商業主義の大人たちと渡り合うところは、とてもワクワクする。不誠実なオペラ座支配人にはヴェラと同じ怒りを覚えるが、そんな連中でも相手にしなければならないことは、すでに父親相手に学んでいる。世の中はバカが利口を支配しているのだ。

 

 実話に基づいている話だから、本当に18歳の女の子が、世界的なジャズピアニストのコンサートをプロモートしたということだ。ピアニストや会場の責任者を、よく電話一本で信用させたものだと感心する。

 聴く方も大変だ。スタンダード・ナンバーには安心感がある。対して即興演奏には、出会いと驚きがある。整備された登山道に対して、山肌を直接登っていくようなものだ。二度と通ることのない道。まさに一期一会である。コンサート会場でしか聞けない音楽がある。それを知っていたことが、ヴェラの唯一の強みなのだろう。

 音楽映画というと、演奏家や指揮者が主人公の場合が殆どだが、本作品は聴く側の論理、聴く側の気持ちをテーマにしているという目新しさがある。解説おじさんの役割も含めて、プロットも演出も面白かった。

 映画「ハムネット」を観た。

https://hamnet-movie.jp/

 

「ハムレット」の戯曲の中では「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳されたのが有名な台詞だが、翻訳家の小田島雄志(おだしまゆうし)さんは、この台詞を「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳している。さらに別の説もあったりして、「ハムレット」は、遠く離れた極東の演劇関係者の中でも、永遠の問題作のようだ。

 

 シェイクスピアの妻はアン・ハサウェイという。年上の悪妻として有名なので、本作品でもそのように描かれるのかと思っていた。しかし流石にクロエ・ジャオ監督である。言い伝えの悪妻とはまったく異なる人格を描いてみせた。

 本作品でのシェイクスピアの妻アグネスには、母系の考え方がある。母から娘に受け継いでいくものだ。それは薬の知識であり、未来が見える能力である。加えて、窮地に陥ったときの対処法がある。それは太陽のように心を開くことだ。

 しかしアグネスは、夫が不在という精神的負担の大きさから、母の言葉を忘れてしまう。あらゆる不幸が夫の不在に由来するかのように、夫を責め、心を閉ざしてしまう。そんなアグネスに働きかけて、母親の言葉を思い出させたのは、同じ母親の言葉を聞いて育った弟だ。序盤ではあまり存在感のなかったこの弟が、終盤で重要な役割を果たす。

 

 クライマックスはもちろん「ハムレット」の舞台である。夫の書く戯曲に少しも興味を示さなかったアグネスだが、長女の言葉に触発されて、ロンドンを訪れる。アグネスを演じたジェシー・バックリーは、今年公開された「ザ・ブライド」の怪演も凄かったが、本作品では溢れんばかりの豊かな感情を見せている。観劇シーンのアグネスの表情は、何を思っているかが手に取るようにわかるほど、素晴らしい演技である。

 舞台には、夫の哀しみが見え、愛が見え、大きな悩みと、深い哲学が見える。アグネスは知らなかった。夫がこれほどまでに人々を興奮させ、感動させ、そして喜ばせていることを。アグネスは知らなかった。自分たちがこれまでずっと、夫の大きな愛に包まれていたことを。

 

 ウィリアム・シェイクスピアを演じたポール・メスカルは、2022年製作の「アフターサン」でもナイーブな演技を見せていたが、本作品では更に磨きがかかったようだ。演出と脚本と役者の三拍子が揃った、とても優れた作品だと思う。

 映画「脛擦りの森」を観た。

https://synca.jp/sunekosuri/

 

 柳田國男の「遠野物語」の中の一話みたいな物語である。語り部が語れば、およそ2、3分で語り終えるだろう。妖怪「スネコスリ」についての簡単な物語だからだ。しかし物語の当事者の視点を想像すれば、見える景色、聞く音が次から次へと浮かんでくる。渡辺一貴監督がどうしても映像と音を残したかった動機が、作品そのものから伝わってくるのだ。

 登場人物は3人のみ。岩の隙間に気づいた者だけが辿り着ける古い家。終始無言の妻と年老いた男。怪我をしてこの家に辿り着いた若い男は、澄んだ空気と静謐な環境に魅了される。「ずっとここに居られたらいいのに」という台詞が、牢獄のはじまりだ。

 若い妻はいつも美味しい食事を用意してくれる。そして、直接的には描かれなかったが、夜に布団の横から聞こえる衣擦れの音から、夜の営みの相手も務めていることがわかる。澄んだ空気と静謐な環境。それに加えて美味しい食事と夜の営み。男にとって、ほかに何を願うというのだろう。

 不気味な「スネコスリ」の話を、怖いもの見たさの妖しい物語に昇華させたのは、ひとえに渡辺監督の想像力と、秘かな願望に違いない。その願望は、世の男たちが共通して抱いているが、誰もが隠そうとしているものだ。バッハの曲と相まって、実に印象的な作品である。

 映画「ペリカン・ブルー自由への切符」を観た。

https://www.march.film/pelikanblue

 

 万年筆はいろいろなものを使ったが、ほとんど失くしてしまった。残っているのは、人からもらったペリカンの万年筆一本である。インクは残念ながら本作品のタイトルにあるブルーではなく、ブルーブラックだが、ペリカン製のインクで、万年筆を傷めないし、色もとてもいい。

 列車の切符が手書きで、しかも万年筆が使われていたことに、ある種の感慨を覚える。切符を偽造した若者たちは、万年筆の種類を特定し、インクを特定し、書かれた文字を消して、同じインクで書き直す。狂気じみた執念を感じるが、そもそもは海外に行きたいという単純な動機だ。

 その後は警察が徐々に若者たちを追い詰める展開で、ドストエフスキーの「罪と罰」を思い出した。もちろん切符の偽造と殺人とでは、罪の重さも罪悪感も異なるが、若い人が自分勝手な思い込みの末に実行した行動の落とし前をつけるという構図は同じだ。

 そのあたりは面白かったのだが、苦労して外国に行ってそこで何を得たのかについては、最後まで何も触れられなかった。体験が本人にもたらす影響は、微妙で複雑だから、シーンとして描くのが不可能だったのだろう。きわめて文学的な部分だから、時代背景も含めて、観客が自分で想像するしかない。本作品が面白く感じられなかったとしたら、多分そこだろう。

 映画「ザ・ブライド」を観た。

https://thebride-movie.jp/

 

 主演ふたりの怪演が目立つ作品で、特にクリスチャン・ベイルについては、作品ごとに太ったり痩せたりしていて、本作品では特殊メイクに挑戦している。どこまでも役に対して貪欲だ。ただ、作品自体が面白いかどうかについては、好みが分かれると思う。

 売春婦の心の中に「フランケンシュタイン」の原作者の魂が生じたり、たまたま掘り返す死体がその売春婦だったりと、唐突でしかもご都合主義の設定には、いささか鼻白むところがある。作品に素直に入っていけないのだ。

 過去の名作「ボニー&クライド」や「アウトサイダー」などへのオマージュのシーンはあるが、本作品にとって特に意味はない気がした。売春婦の内なるメアリー・シェリーが語る文学的な言葉も、背景が乏しすぎて何も響かない。結局、最後まで主人公のいずれにも感情移入できなかった。