映画「兄を持ち運べるサイズに」を観た。

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 妹の理子(柴咲コウ)から見たら、人間のクズみたいな兄(オダギリジョー)でも、兄の元妻や娘や息子から見たら、違ったように見える。そんな話だ。

 

 妹からしたら、母に散々世話になったのに、病気になったら置き去りにして、久しぶりに会った妹に喪主を任せ、ひたすら金の無心をする。自分の都合しか考えず、嘘をついて他人を利用しようとする生き方は、クズとしか言いようがない。確かにその通りだ。

 前半のクズぶりを見ていると、だんだん他人事に思えなくなる。こういう人間とは関わり合いたくないが、では自分はどうなのか。クズではないフリを装っているだけではないのか。そのために仕事をして金を稼ぎ、なんとかクズに見られないように踏みとどまっている程度なのではないか。忸怩たる思いが湧いてくる。

 

 ところが、兄と暮らしたことのある元嫁の加奈子(満島ひかり)や娘や息子の話は、少し違う。クズの一面しか見ていなかった理子は、兄の違う面を見て、ちょっと見直す。なかなかいい話である。

 

 オダギリジョーが上手い。どんな状況になっても落ち込まず、常にノーテンキで自分に都合のいいことばかりを空想する。困った奴だが憎めない。なにせ悪意がない。人はいろいろな側面を持っているものなのだ。

 すると自省の続きが浮かんでくる。もしかしたら、この兄よりも自分のほうが、よほどクズなのではないか。悪いことばかりを想像するし、悪意は山ほどある。

 

 自省は一旦置いておいて、本作品のテーマは、家族とは何かである。そして答えは冒頭に出されている。

 

「支えであり、呪縛ではない」

 

 斜に構えてこの言葉を読むと、いやいや、痴呆症になった両親や無一文で働きもしない兄弟など、呪縛でしかないだろうと思ってしまうが、本作品は、そうではないと主張する。いい話だから、いい答えで終えたいのは分かる。現実もそうであればいいと願うが、介護の過酷な作業を休む暇もなく続けている人には、どのように響くのだろうか。