映画「ゼイ・ウィル・キル・ユー」を観た。

https://they-will-kill-you.jp/

 

 面白かった。アクションも迫力があるし、設定もひねりが効いている。単に、格闘に慣れた若い娘が殺人趣味の金持ちたちを返り討ちにするだけの話ではない。相手も、単なる普通の金持ちではない。

 互いの秘密を探り合いながら、弱点を見つけようとする。その間にも殺し合いの緊迫はずっと続く。場面が展開するにつれて、物語の背景が徐々に明らかになっていく。そのあたりのバランスもよく出来ている。アクションはくどくないし、間のとり方もよくて、サクサク進む。

 職人芸の製作者によるスカッとするホラーアクション作品で、見終わるとなぜかしら鬱憤が晴れた気になる。

 映画「ラプソディ・ラプソディ」を観た。

https://www.bitters.co.jp/rhapsody/

 

 高橋一生への当て書きではないかと思われるくらい、主人公夏野幹夫という役にぴったりだった。利重剛監督自身が演じたおじさんも、すっとぼけぶりがとてもよかった。物語が壊れないように話を聞く立場で、細かな説明や端折りを会話に入れ込んでいるところもいい演出だと思う。

 

 絶対に怒らない人という設定は、それだけで物語を生みそうだ。何故怒らないのか、理由は終盤で明らかになるが、割と普通の理由で、もう少しひねりが欲しかった気もする。しかし他人から馬鹿にされても、怒らないという姿勢を貫く意志の強さは、驚くべきだ。

 観客と同じくらい驚いた繁子が、やがてそれが夏野幹夫という人間の本質であることを理解して「あいつは、お前らが束になってかかっても敵わないくらい、いいやつなんだ」と叫ぶシーンが本作品のハイライトだと思う。

 

 まったくの見当違いかもしれないが、もし日本国憲法第9条を人間にしたら、夏野幹夫みたいになるのかもしれない。周囲の人々は「常識」にとらわれて幹夫を侮蔑するが、他人のことなど気にせず、ひたすら戦わないことを選択し続ける。愚直ではあるが並大抵の覚悟ではない。損得ばかり気にする人々には、幹夫の生き方は理解できないだろう。

 憲法記念日に鑑賞したのも、何かの縁かもしれない。

 映画「The Life of Chuck」(邦題「サンキュー、チャック」)を観た。

https://gaga.ne.jp/thankyou_chuck/

 

 カール・セーガンの名前を久々に耳にした。「宇宙カレンダー」という計算を披露していて、ビッグバンを1月1日とすると、人類登場は12月31日の朝で、現代文明の成立は23時59分を過ぎてからのことだという話は一世を風靡したものだ。

 にわかに宇宙への関心が高まり、太陽系に関してもいろいろな知識が話題にのぼった。太陽から地球まで光の速度で8分かかる、つまり地球から太陽までの距離は8光分であるとか、太陽系の総重量の99.8%以上は太陽の重量であり、太陽系はほぼ太陽であるとか、太陽は全方位にエネルギーを放出していて、8光分離れた地球に届くのはそのうちの22億分の1だ、などだ。そして、かつて学校の図書館に通って勉強した相対性理論についても語ったりした。

 そのとき、相対性理論は専門的には数式で記述されており、数式が理解できなければ、相対性理論は根本的に理解できないことが判明して、自分に数学の才能がないことを憂えたものである。

 

 本作品は幸いなことに、数式が理解できなくても楽しめる。チャックのおじいさんは数学の分析力と記述力が森羅万象を説明するとチャックに言い聞かせる。まさにその通りだと思うが、詳しい解説は省略されているから心配ない。

 数学は地球の現象を分析し、地球の終わりを予言する。そして人間の人生の終わりは、おじいさんが隠していた丸屋根の空き部屋が予言する。空き部屋は数式で、数学に疎い(うとい)人間にも、映像でわからせてくれる不思議な部屋だ。おじいさんが残した「待っている時間が一番辛い」という言葉の意味は、余命を知った人間の辛さという意味であり、地球の終わりを座して待つ人々の辛さでもある。

 

 しかし、終わりは必ずしも悪いことではないと、映画は言っているようだ。地球の危機の予兆が始まって以来、離婚が減って再婚が増えている事実は、単に離婚に時間や面倒な手続きが必要だからではない。地球の終わりを前にして、人は寛容になり、正直になる。憎悪よりも親和、戦争よりも平和を求めるのだ。

 

 スティーブン・キングの終末に関わる世界観は、ユニークだが極めて現実的だ。アメリカ映画にしては珍しく哲学的な作品となっている。とても見応えがあった。

 映画「Sorda/Deaf」(邦題「幸せの、忘れもの」)を観た。

https://shiawase-film.com/

 

 2024年製作の邦画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」では、忍足亜希子さんが明るくて息子思いの優しい母親を演じていた。忍足さん自身も役と同じく聾者で、本作品の主演のミリアム・ガルロも、役と同じく聾者だそうだ。

 似たような映画かと思いきや、方向性がまったく違った。本作品の主人公アンヘラは、娘よりも夫よりも、自分のことが最優先だ。自分の人生に役立つように、補聴器を売る店員は手話を覚えなければならないし、夫は他の人と手話なしで話してはいけない。

 日本の映画には諦めがあったが、本作品にはない。人と人とは、わかり合えないものだという諦めだ。それは悟りでもある。

 

 夫は、理解している。聴者である自分には、聾者の気持ちの全部はわからない。わからないけれども、思いやりを持っていれば、一緒に生きていける。しかしときには失敗もするし、忘れることもある。それをすべて咎め立てられるのは、筋が違う。

 一方、アンヘラは幼い娘から気を遣われて育ってきたから、ややそれが当たり前になっているところがある。夫は自分を大切にしなければならない。その考えが、人に対して完璧を求め、故に不満を抱き続けることになる。

 夫婦の危機は徐々に膨張していくが、出産までは夫の努力によって爆発せずにいた。出産後には、身重の妻という歯止めがなくなってしまう。聞こえないことをアピールしたくないアンヘラは、上手くいかない子育てに、ますます不満を膨らませていく。

 

 本作品の山場は、夫の「君が聞こえないのは俺のせいじゃない」という台詞だろう。おそらくアンヘラの人生の転機になったであろう言葉だ。与えられるばかりであった自分に、ようやく気がついた訳だ。

 聾者でも社会の役に立つし、人のためになることが出来る。他人に与えられる幸せより、他人を幸せにするほうがよほど幸せであることは、世の多くの人が知っている。アンヘラにもその未来があるかもしれない。

 映画「トゥ・ランド」を観た。

https://toland-movie.com/

 

 原題は「Where to land」だから「どこに着地するのか」みたいなニュアンスだろうか。コメディの王道である誤解をきっかけに、登場人物それぞれの事情や人生観が展開されて、ある種のカオスのようになる。舞台劇のようなスケール感である。

 吉本新喜劇みたいだが、違うのは会話がどれも哲学的であることだ。100歳の老女が未来予測を語り、何故か椅子の向かいには額が飾られていて、裸の女が背を向けて横になっている写真が入っている。100歳の精神と若い肉体を対比させた監督の悪戯心だろう。

 こういうほのぼのとしたコメディが作られるということは、それだけ現代のアメリカ人の心が荒んでいるということの裏返しなのかもしれない。