映画「Sorda/Deaf」(邦題「幸せの、忘れもの」)を観た。
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2024年製作の邦画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」では、忍足亜希子さんが明るくて息子思いの優しい母親を演じていた。忍足さん自身も役と同じく聾者で、本作品の主演のミリアム・ガルロも、役と同じく聾者だそうだ。
似たような映画かと思いきや、方向性がまったく違った。本作品の主人公アンヘラは、娘よりも夫よりも、自分のことが最優先だ。自分の人生に役立つように、補聴器を売る店員は手話を覚えなければならないし、夫は他の人と手話なしで話してはいけない。
日本の映画には諦めがあったが、本作品にはない。人と人とは、わかり合えないものだという諦めだ。それは悟りでもある。
夫は、理解している。聴者である自分には、聾者の気持ちの全部はわからない。わからないけれども、思いやりを持っていれば、一緒に生きていける。しかしときには失敗もするし、忘れることもある。それをすべて咎め立てられるのは、筋が違う。
一方、アンヘラは幼い娘から気を遣われて育ってきたから、ややそれが当たり前になっているところがある。夫は自分を大切にしなければならない。その考えが、人に対して完璧を求め、故に不満を抱き続けることになる。
夫婦の危機は徐々に膨張していくが、出産までは夫の努力によって爆発せずにいた。出産後には、身重の妻という歯止めがなくなってしまう。聞こえないことをアピールしたくないアンヘラは、上手くいかない子育てに、ますます不満を膨らませていく。
本作品の山場は、夫の「君が聞こえないのは俺のせいじゃない」という台詞だろう。おそらくアンヘラの人生の転機になったであろう言葉だ。与えられるばかりであった自分に、ようやく気がついた訳だ。
聾者でも社会の役に立つし、人のためになることが出来る。他人に与えられる幸せより、他人を幸せにするほうがよほど幸せであることは、世の多くの人が知っている。アンヘラにもその未来があるかもしれない。
