映画「四月の余白」を観た。
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思春期は、様々な価値観に揺さぶられる時期だ。いろいろな価値観に出会っては、それを肯定したり否定したり、忙しい。価値観が定まっていない中で自意識が肥大するから、世の中での自分の評価が気になる。世の中と言っても隣近所や学校のクラスくらいの狭い範囲である。
子供の頃から日本国憲法を教えたりして、共同体のありようをある程度理解させることができれば、視野を広く持つことができるから、子供はそれほど周囲の評価を気にすることはない。しかしそんな子供は滅多にいないわけで、クラスメイトが自分のことをどう思っているかをついつい気にしてしまう。
無視されたくないし、馬鹿にされたくない。成績のいい生徒は、それだけで評価されるから、それほど悩むことはないが、成績の悪い生徒は、成績で評価されることを否定したいし、それ以外の価値観で評価されたい。
思考することに慣れていない短絡的な子供は、原始人みたいに暴力に訴える。強いほうが評価が高いわけだ。弱い者をいじめて言うことを聞かせれば、それだけで他人の上に立ったと思い込む。暴力で勝てば自分の評価が上がると信じ込んでいるのだ。
実は子供だけの話ではない。社会は比較と競争に満ちている。ビジネスでもスポーツでも、勝ったものが評価され、称賛される。世の中の組織や人を、勝ち組と負け組に分けるような価値観さえある。勝ち組の象徴みたいなアメリカンドリームの真相は、金持ちになることだ。実に愚かしい。
暴力団みたいな世界でも、同じように勝った者だけが評価される。グレた中高生の暴力争いを描いた馬鹿な映画もある。どんな理屈をつけても、暴力は暴力だ。他人に勝つことだけを植え付けられた子供たちは、必然的に強い者が弱い者をいじめるようになる。
自意識の目覚めが勝ち負けの価値観に重なると、勝った者だけが美しく、負けた者は惨めだということになり、自尊心は負けを認めない。いじめられた子供は自分がいじめられたことを認めたくないわけだ。
親は自分の勝利至上主義と、他人と自分を比較する癖が、自分の子供をいじめっ子にしていることに気がつかない。親が他人の悪口を言えば、子供はそいつの子供を殴る。大人がプロサッカー選手を褒めれば、サッカーが上手い子供は評価されて、下手な子供は馬鹿にされる。場合によってはいじめられる。あらゆることで同じことが起きている。つまり世の中全体がいじめの構造なのである。子供の問題に矮小化して、教師に責任を押し付ける社会は、無自覚にもほどがあるのだ。
フランス革命の標語が自由、平等だけでなく、どうしてそこに友愛が加わったのか、それが人類の叡智の頂点であり、民主主義の根幹のコンセプトなのだが、理解している人は少なく、いじめと格差は永遠になくならない。
映画としてはよくできていた。緊迫感もあるし、展開にも引き込まれる。一ノ瀬ワタルはよく頑張ったと思う。この人にしかできないような役柄でもある。
口で言ってもわからない子供は殴った痛みでわからせるという考え方は、医療で言えば対症療法だ。本当の痛みは、いじめられたという自尊心の傷なのだ。他人と自分を比較して一喜一憂し、勝つことだけを求められている子供の、精神状態にまで踏み込んでいかなければ、いじめはなくならない。
比較からの脱却、勝利至上主義との決別、それらは価値観の大転換だが、戦争を繰り返す愚かな人類に、そんなことができるとは思えない。いじめと格差、差別は永遠に続くのだ。