映画「エディントンへようこそ」を観た。
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エディントンには、人々の怒りが充満している。人種の違い、宗教の違い、貧富の差、陰謀論など、あらゆることが怒りの原因になる。スマホの時代だ。怒りはSNSによって増幅され、何倍にもなって人々のもとへ戻ってくる。
そこへやってきたのがコロナウィルスのパンデミック騒ぎだ。行政は何かしなければならないから、とりあえずマスクの着用を義務付けるが、それは対立の火種にしかならなかった。つまり本作品でのコロナ禍は、怒りが爆発する引き金の役割を果たしたことになる。
ホアキン・フェニックスが演じた主人公の保安官ジョーは、臆病なようで大胆、大雑把なようで繊細、そして愚鈍なようで聡明という、実に複雑なキャラクターだ。我慢強さは特筆ものであり、だから6年間も保安官を続けられている。ややこしい人格をわかりやすく伝えるホアキン・フェニックスの演技は天下一品だ。
さて、ブツブツと不平不満を呟きながら浮浪者が町に入ってくるのが冒頭のシーンである。実は彼こそがエディントンにコロナウィルスを持ち込んだのだということが、途中でわかる。酒場に侵入して、手当たり次第に酒を飲みながら、味がしないと騒いでいた。
ジョーもすぐに、こいつが元凶だったのかと察した。それから先は荒唐無稽な展開が繰り広げられる。アンティファの実行部隊がプライベートジェットでやってくるシーンと、権力は州知事であり大統領だとジョーが演説したシーンが伏線となって、その後ジョーに襲いかかってくるのだ。本当にアンティファのテロ部隊だったのか、それを装っていただけの権力の手先なのかは、最後までわからない。
終盤になって、はっと気づいたのだが、エディントンはアメリカの縮図なのである。賢明な諸氏は最初からわかっていただろうが、当方は終盤までわからなかった。市長が主張していたデータセンターの誘致が、結局は実行されるのだ。つまりどちらに転んでも、巨大資本は確実に目的を果たすのである。
女性は強かだ。娘はカルト教団の教祖の妻に納まり、母は陰謀論を振りかざしながら、悲劇の英雄の義母の立場を無限に利用する。何もかもが嘘であることを知っているのは、観客だけだ。アリ・アスター監督のシニカルな世界観が結実した作品だと思う。




