映画「残されたヘッドライン」を観た。

https://headline-movie.com/

 

 編集の仕方や音楽の使い方はともかく、全体として貴重な映像を見せてもらったと思う。戦争の映像がかなりの割合を占めていたが、それはつまり、20世紀の日本は戦争ばかりだったということだ。

 日清戦争と日露戦争を戦って、たまたま勝利したことが、愚かな国家主義者たちを増長させて、一路軍国主義へと突き進んでしまった。たくさん人を殺したろくでなしを英雄と祭り上げ、意に反して死んでいった者たちを英霊と呼んで崇める。

 そういう時代がようやく終わり、婦人参政権をはじめ、差別をなくそうという動きがはじまったのが戦後民主主義だが、戦争を知る政治家が表舞台から姿を消していくにつれて、またぞろ領土拡大の夢よもう一度と、富国強兵を目指す族(やから)が増えてきた。日本だけでなく、世界の趨勢でもある。歴史が繰り返すのは、人間が学ばないからだ。

 

 このタイミングで本作品が上映されたのは、製作者の危機感の現れだろう。同じ危機感を持つ者として、改めて反戦の意を強くすることができた。

 映画「オールド・オーク」を観た。

https://oldoak-movie.com/

 

 ケン・ローチ監督である。世の矛盾に抗いながら、懸命に生きる人々の本音を描く。本作品も例外ではないが、移民やSNSといった現代の問題もテーマになっている。国際的な視点からの問題作だ。

 

 松本隆が作曲して、松田聖子や手嶌葵が歌った「瑠璃色の地球」という歌がある。2番の歌詞は次のようだ。

 

 争って傷つけあったり

 人は弱いものね

 だけど愛する力も

 きっとあるはず

 

 本作品のテーマを端的に表現したみたいな歌詞だ。ケン・ローチ監督がこの歌詞を知ったら、気に入ってくれるかもしれない。

 

 人は弱いから、他人を攻撃する。甘えているから他人をいじめる。自分は許されると思っているところが愚かである。世界の指導者にもそういう愚かな人々が多い。

 愚かで弱い人が暴力を振るう。弱いから、暴力で強さを誇示したい訳だ。子供と同じである。成長して、自分が世界の中心にいるのではなく、他人の寛容と妥協と親切によって生かされていることに気づくと、強さとは、優しさであり、思いやりであり、孤立を恐れない勇気であることに気がつく。

 しかし気がつかない人もいる。そういう人はいつまでも勇ましさを装っている。そして多くの人が騙される。選挙でも騙されて、愚かで弱い人に投票してしまう。世界はそんな指導者で溢れ、社会の質が落ちていくばかりだ。ケン・ローチ監督の嘆きがズシンと届く。

 映画「Is this thing on?」(邦題「これって生きてる?」)を観た。

https://www.searchlightpictures.jp/movies/isthisthingon

 

 大抵の邦題は、頓珍漢なことが多いが、本作品の邦題は優秀だと思う。原題の「Is this thing on?」の「on」は、文字通りオンまたはオフのオンであり、日本語の日常会話なら「これって電源入ってる?」くらいの意味なのだが、それを「生きてる?」と表現することで人間が生きている実感の比喩として捉えた邦題である。優れた邦題に出会うのも、映画の楽しみ方のひとつだと思う。

 人間関係を壊すものは、損得勘定と独善と、くだらないプライドである。詩人の中原中也は、そのあたりの人々の心を次のように表現している。

 

さてどうすれば利するだらうか、とか

どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に

明けくれすぐす、世の人々よ、

 

 損得勘定と独善とプライド。この三つから自分を解放することができれば、人間関係で悩むことはない。日本ではそもそも、損得勘定に執着したり、他人に独善を押し付けたり、うわべを飾ることは、卑しい心だとして否定されてきた。対して、重んじられてきたのは感謝と思いやりの心である。

 しかしアメリカ映画である本作品では、登場人物のそれぞれが自分の損得と独善とプライドを真っ向から主張しあって、互いに譲らない。しかしその全体を客観的に眺めて、笑い飛ばしてしまえば、自分たちの馬鹿らしさに気づく。

 ところが、それでも損得勘定と独善とプライドを捨て去ることはしない。そこら辺がアメリカ人らしいと言える。ドナルド・トランプの愚かさに通じるものがある。つまり永遠に悟ることがないのだ。

 悟ることがないのは他の国の人々も同様で、中原中也が嘆いてみせたように、日本人も損得と独善とプライドに囚われている。感謝と思いやりを発揮するのは外面(そとづら)だけだ。外面を取り繕うのが上手な日本社会は、外国人から見ると整然として穏やかに思えるだろう。しかし日本人の本心は、高市早苗のような独善とプライド以外に中身のない人間を総理大臣にしてしまうほど、思いやりに欠けている。

 アメリカと日本の事例を敷衍すれば、世界全体として優しさや寛容や思いやりが欠如しているわけで、ブラッドリー・クーパーがコメディとして描いてみせたのは、人類のどうしようもない愚かさなのだろう。

 

 アメリカで不評だったのは、自分たちの愚かさが炙り出されてしまったからに違いない。そこを笑って受け止めることができるほど、アメリカの社会は成熟していないということだ。だからトランプが選ばれる。しかし幼稚園児に核兵器を持たせてはいけない。

 映画「FEVER ビーバー!」を観た。

https://100beaver.com/

 

 浅田彰の「逃走論」を思い出す。競馬評論家の井崎周五郎さんが内容を簡潔に説明していた。人類の歴史は産めよ増えよ、働け、蓄えよという「パラノドライブ」によって作られてきたが、地球が飽和状態になり、人類は生き方の転換を余儀なくされることになる、それが「スキゾフレニー」の生き方であり、逃げることなのだ、という感じの内容だったと記憶している。井崎さんはそこから逃げ馬について述べるのだが、これは映画レビューだから、映画について述べなければならない。

 

 本作品は人類が手を使って道具を作り始めた頃から、やがて一夫一婦制の戸籍制度に至るまでの話がひとつの側面だと思う。文明の発達は描くのが大変だから、ロールプレイングゲームのように店があって、便利な道具が買えるようになっている。貨幣経済もさり気なく描かれるし、動物を殺して、肉を食べたり皮や骨を道具にしたりという文化も描かれる。道具屋の娘は性を売りにするところがあり、人類最古の職業と言われる売春婦の誕生も匂わせる。繰り返される痰壺のくだりも秀逸。

 男は女を手に入れるために孤軍奮闘するのだが、いかにもパラノイア(偏執狂)みたいで、飽くことを知らず、目的に向かってひたすら努力する。経済活動はルート営業みたいになり、狩猟を工夫すれば、大量の収益が得られることがわかり、男は有頂天になる。食物連鎖の頂点に君臨する狼の群れにも、男は果敢に挑戦する。道具があれば、人間が狼に取って代わることもありうる。

 個人事業主の男に対し、ビーバーの世界は、分業と協業のマニファクチュアだ。共同体だからきまりがあり、治安担当者や内偵担当者もいる。シャーロック・ホームズとワトソンくんに似た内偵者は、ある種のオマージュなのだろう。

 

 いろいろな要素をてんこ盛りにしつつ、男のパラノ的な奮闘を、スラップスティックの物語として成立させてしまうところが凄い。大した才能である。主人公を必ずしも肯定していないところも面白い。2022年製作の本作品の日本公開が4年後になったのは、いろいろと事情があるのだろうが、兎に角公開されてよかった。

 映画「人はなぜラブレターを書くのか」を観た。

https://loveletter.toho-movie.jp/

 

 石井裕也監督の作品を鑑賞するのは、本作品で10本目となる。ひとつの作品にひとつの世界観という作り方ではなく、作品ひとつひとつに様々な世界観が錯綜していて、受け取り方も様々なら、解釈も観客の数だけあるような複雑なプロットの作品が多い。

 しかし本作品は、ひとりの青年に登場人物の誰もが注目している構図で、登場人物それぞれの背景が異なっても、青年の評価は変わらない。価値観の錯綜はなく、時が経っても青年は好青年のままということだ。

 思い出は美化されることが多いが、本作品の好青年の真っ直ぐな生き方は、触れ合った人々に前向きな希望をもたらしているところに特筆すべき点がある。石井監督にしては珍しく正攻法の作品だ。観ているこちらも、前向きな気分になった。