映画「黄金泥棒」を観た。

https://ougondorobo.jp/

 

 先日鑑賞した2025年製作の「津田寛治に撮休はない」と同じく、萱野孝幸監督・脚本の作品である。人間模様を面白おかしく描き出した前作よりも、さらに面白くなっている。

 

 妙に真面目で哲学的な部分がある津田寛治に比べて、田中麗奈が演じたヒロインは、あっけらかんとしていて嘘がない。どこか共感し、感情移入する部分があるキャラクターだ。

 展開はスピーディで、昭和のテレビを思わせるぶっきらぼうな説明書きと再現ドラマが、物語を無理なく先に押しやる。おかげで無駄なシーンがない。観客が経緯を想像できるのであれば、無理にそのシーンを作る必要がないという訳だ。極めて合理的である。

 

 ヒロインはこれといった人生設計がなく、流されるままに専業主婦として生きてきた訳だが、母親から言われた「あなたのためを思って言っているのよ」というパターナリズムには、いいしれぬ反発を覚えている。父親の「26歳までに結婚しろ」という独善主義も気に食わない。おとなしいけれども、内心は世の中に対する確執を醸している。そんなヒロインのひととなりを再現ドラマで表現したところが斬新だ。

 一方、金を扱う商売は、金持ちによる金持ちのための商売だ。金持ちの判断基準は高いかどうかだけである。ワインの味もわからないし、金製品の価値もわからない。持ってみて重ければ満足するレベルだ。金持ちではない一般庶民はどうかというと、実はあまり違わない。音楽の良し悪しも芸術の価値も分からず、ただ高いかどうかでしか判断できない。ヒロインが世の中に反発するのも当然だ。

 

 作品全体を通じて、なんでもかんでも金銭的価値で判断する世の中に対するアイロニーがあり、そんな世の中全体を笑い飛ばすエスプリがある。職人が精密に作ったような映画で、コメディとして秀逸だと思う。とても楽しめた。

 映画「OCHI! -オチ-」を観た。

https://a24jp.com/films/ochi/

 

 コミュニケーションがテーマのファンタジーだ。舞台は黒海に浮かんだ小さな島。日々暮らしていくのが精一杯の貧しい暮らしの中で、人間はOCHIを敵対視し、OCHIを狩る。OCHIは反撃し、人間もOCHIもさらなる窮地に陥っていく。互いに相手を侮り、下等生物と決めつけているから、いつまでも理解し合えない。数千年間もそうやって対峙してきた。

 

 ところがそこに奇跡が起きる。子ども同士の出会いである。人間の子どもであるユーリが、罠にかかったOCHIの子どもを助けるところから、すべてははじまる。ファンタジーらしい展開だ。

 OCHIを狩るハンターである父親から逃げつつ、助けてくれた母親の引き止めも聞かずに進むユーリは、父親と母親の確執の原因となった出来事がOCHIに関係していることを察する。そしてある瞬間、ユーリは奇跡のようにOCHIの言葉を理解する。

 

 ウィレム・デフォーが演じた父親は、人類の愚かさのすべてをひとりで演じてみせた。専制的な態度で弱い人々を服従させ、独断と偏見に基づく独善主義を実行する。戦争をする指導者の精神性そのものだ。

 ユーリはその馬鹿馬鹿しさ、無意味さにいち早く気づいていたが、逆らう勇気もきっかけもない。ところがOCHIの子どもとのふれあいが、ユーリに勇気をくれる。そして父親の世界観を全否定し、ついに出発する。

 母親はユーリの勇気に感心するが、まだOCHIを信じられず、その知能を侮っている。だからユーリを引き止めるが、娘の世界観は母親よりも遥かに広く、愚かさを乗り越えて進んでいく。

 

 大団円では、登場人物が一同に介する。そこでは、ユーリの母親と父親が自分たちの愚かさに気づくシーンが用意されている。それは、人類が自分たちの愚かさに気づく瞬間に通じていて、そこはかとない感動がある。子どもだからこそのニュートラルな精神性が、種族や言語、文化の垣根を乗り越えることができたのだ。

 

 平和は戦って勝ち取るものではない。コミュニケーションを通じて、親切と寛容と相互理解によって作り出すものだ。そのためには、たゆまぬ努力と、偏見や差別心を捨て去る勇気が必要になる。

 人間は、ともすれば無理解で不寛容な戦争をはじめる。しかも、平和のためというもっともらしい理由をつける。積極的平和主義などという意味不明のスローガンを掲げていた暗愚の宰相もいた。そんな大義名分に騙される人々も多い。ユーリに言わせれば「馬鹿みたい」である。

 

 説教臭さなど微塵もないにもかかわらず、教訓の多い作品である。世界の有権者は、平和に向かう指導者と戦争に向かう指導者のどちらを選択すべきなのか、よく考えなければならない。

 映画「森に聴く Listen to tha Forest」を観た。

https://alfazbetmovie.com/morinikiku/

 

 学者の話というのは、演繹的よりも帰納的な論理が多いと思う。様々な可能性をひとつひとつ検証して、仮説を絞っていく訳だ。その中で「植物同士がコミュニケーションをとっていないと考えるほうが不自然」という話があった。

 自然科学の学者は正直だ。森についても樹木についてもわかっていないことのほうが多いと話す。人間の尺度で考えると間違うのだろう。樹木は数百年、数千年の単位で生きている。しかし人間はせいぜい数十年だ。人間が森について語ることさえ、おこがましい気がする。

 それでも大事なのは、人間にとって森とは何かというテーマである。人間は小さくて、森から何かを浴びる存在だ。浴びるというのが実は人間にとって重要で、入浴、森林浴などは人間の体に好影響を及ぼす。海水浴も、元々は医療行為の一環だったようだ。

 森の恩恵を享受するためには、森を大切にしなければならない。大切にするというのは同じ状態を維持するというのとは違う。地球は変化し続けている。地殻は変動するし、気象は刻一刻と変化していく。太陽光がもたらす様々な影響も変化し続ける。森は樹木同士がコミュニケーションを取り、長い年月をかけて環境に合わせて変化している訳だ。

 森がそんなふうに、数百年のスパンでそういった変化に対応していることを理解し、自然現象からかけ離れた行為をなるべく避けることが、森を大切にするということなのだろう。とても勉強になった。

 

 映像がとにかくきれいで、音楽が心地よい。巨大なきのこがポルチーニ茸だったのには驚いた。

 映画「津田寛治に撮休はない」を観た。

https://satsukyu.com/

 

 かなり面白かった。津田寛治という俳優に密着しているのに、楽屋落ちにならず、本人が持つ様々な側面のひとつひとつを丁寧に紹介する。誰もが仕事と私生活がしばしばオーバーラップするように、津田寛治も私生活と役柄がしばしばオーバーラップする。

 脇役陣も面白い。生真面目一本槍のはずのマネジャーが特異な才能を発揮したり、かつて天才と称された孤高の映画監督が実は俗物であったりする。様々な作品に出る合間にはラジオのトーク番組もこなし、どこまでが実生活でどこまでが役柄なのか、どこまでが本音でどこまでが台詞なのか、だんだん分からなくなってくるのも面白い。

 

 津田寛治の出演作で最も印象に残っている映画は、2019年製作の「山中静夫の尊厳死」で、安楽死と尊厳死の違いをよく理解している医師を、極めて哲学的に演じてみせた。この人が出演すると、作品に思考実験みたいな側面が生まれる。稀有の役者なのだろう。

 

 萱野孝幸監督脚本の作品ははじめて観たが、プロットが立体的でスピード感もあって、とても見応えがあった。本作品もそうだが、萱野作品は単館での上映がほとんどだから、予定が合わないと鑑賞できない憾みがある。4月3日公開の田中麗奈主演「黄金泥棒」はシネコンでも上映するようなので、予定を合わせて鑑賞できそうである。とても楽しみだ。

 映画「フェザーズその家に巣食うもの」を観た。

https://feathers-film.com/

 

 ストーリーはほぼないみたいな作品だ。妻を亡くした夫と母を亡くした子供たちが、互いの関係性を壊し、そして再生するという、割とありがちな話だ。ところがそこに幻想のような妖怪のような存在が登場する。原題は「The Things with Feathers」で直訳すれば「羽根のあるもの」となる。そしてカンバーバッチ演じる主人公は、どうやら漫画家もしくは画家で、黒いカラスの絵を得意としているようだ。

 

「羽根のあるもの」はどこから来たのか、その正体は何なのか、最後まではっきりしないが、主人公の絵と無関係ではなく、その具現化であろうことは想像がつく。チャプターの中に「悪魔」と名付けられた章があるから、キリスト教における悪魔のような存在か、その概念かのどちらかだろう。概念というより、イメージと言ったほうがしっくりくるかもしれない。

 

 ほぼカンバーバッチの一人芝居のような作品で、主人公の喪失感と無力感、それに怒りの感情が溢れ返って、日常生活を送るのさえ困難な状態に陥っている芝居が凄い。日常生活の些細なことの殆どを担ってくれた妻の存在が、ひとつひとつの些細な問題に直面するたびに蘇り、寂寥感に襲われる。

 

 自分で自分を責めて責め尽くして、ようやく光のようなものが見えてきたのは「羽根のあるもの」が瀕死の状態に陥ったときだ。自分を鳥瞰して神の視点でいたのが、やっと眼の前の現実に向き合おうとするまでに至った瞬間だ。

 

 難解な作品ではあるが、人の心の闇と思えば、難解で当然だとも言える。物語としてワクワクする訳ではないが、周囲の人々の同情と協力を得て、受け入れ難かった妻の死を少しずつ受け入れていく様子に、じわじわとした感動があった。