★法隆寺再建されたもの説。(「日本書紀」に670年4月 法隆寺から出火したという記述あり。若草伽藍跡という寺の焼け跡も発見されほぼ正しい記述と見られる。)
★法隆寺の建築様式が7世紀初頭のもの。
★五重塔の心柱の伐採時期が594年のものと判明している。
★法隆寺の建物内部の木材を調べると10年以上にわたって雨風に曝された痕跡。
★法隆寺は新しく建てられたのではなく、存在していた寺を解体して斑鳩の地で組み立て直された。(心柱の伐採時期、雨風に曝された痕跡)
★元の法隆寺の礎石は地中2.7mに埋められているが現存する法隆寺の礎石は地上部分にある。元の礎石と今の礎石の間は空洞。
★法隆寺が建立された7世紀初頭、斑鳩地方には礎石を地中に埋める技術しかなかった。(大和地方にある寺院は例外なく礎石を地中に埋める形で造られている)
★礎石が地上に置いて建立する技術は最新のもので九州(筑紫の国=現在の福岡県)にしかなかった。
★法隆寺が再建される際、心柱の長さから礎石を地上に置いて建てるしかなかったと考えられ、九州から移築された可能性。
★神武天皇は日向の国でなく筑紫の国に降り立ったのではないかという説もある。(大和朝廷は筑紫の国から始まり、法隆寺もそこからの移築?)