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2024年1月末
JALどこかにマイルで九州旅
宮崎~鹿児島⑰
これまでのお話しはこちらから
・特攻の母 鳥浜トメさんの親子丼【知覧茶屋】☆ 宮崎・鹿児島旅⑬
・圧巻の混浴庭園大浴場に一目惚れ【硫黄谷温泉 霧島ホテル】☆ 宮崎・鹿児島旅⑮
・【硫黄谷温泉 霧島ホテル】お部屋とお夕食 ☆ 宮崎・鹿児島旅⑯
九州旅 2泊目の宿
硫黄谷温泉 霧島ホテル
ポチッと押してちょうだい~。
本日2本目の更新ですっ!!
まったく、いつものことながら
遅々として先に進まないからぁ~!
でもこれで、
明日の朝更新できなけりゃ
意味がないんんだけどね。
九州旅、今月中の完結を目指します!!
(目指すだけww)
アルコール濃度7%の超絶美味しい
「桜島小みかん」にやられ、
完全バタンキューとなったおじゃる☆。
ちなみにあまりの美味しさに
1本買って帰って
今も冷蔵庫に入ってますがね。
怖くて飲めず(爆)。
今夜、旦那と半分こ飲もうかな
混浴庭園大浴場の
女性専用時間は午後9時半まで!!
這ってでも行かねばぁ~
と、思う気持ちとは裏腹に
どうにも体が動かない。
結局なんとかベッドを抜け出せたのは
午後9時15分
オーノー
あと15分しかないやんかぁ~!!
しかも、東館の部屋から
大浴場までが、遠い遠い~~
エレベーターで1階に降りて
フロントの前を通り抜け
お土産屋さんの裏の通路をズンズン進み
高千穂館と西館を過ぎたその先!!
5分はかかるで。
これは高千穂館の廊下になるのかな。
坂本龍馬と西郷さん、
それから硫黄谷温泉の
歴史に関する資料がずらぁ~り。
(もちろん、時間がたっぷりある時に撮った)
なんかこの幕末の時代って
学校の歴史でも習ったし
大河ドラマだって見ていたのに‥。
漠然としか覚えてないのよねぇ~(爆)。
興味が無いのかしら‥?
旅行記が前回から間が空いてしまったのも
この部分の解説をどうしようか?
頭を悩ませていたからなのねぇ
で、出した結論は…、
スルーする!?ww
えっ?
ウソウソ!
書くわよ~~~(笑)。
簡単にね
坂本龍馬
言わずと知れた幕末の志士
1862年 土佐藩を脱藩、
生涯師と仰ぐことになる勝海舟との出会い
1864年 勝海舟の使者として西郷隆盛に面会
(マブダチ?)
1866年 薩長同盟成立
寺田屋事件にて襲撃され手傷を負った龍馬、
薩摩藩邸に逃げ込む。
そこで薩摩での温泉療養を進められ、
倒幕準備のために帰国する西郷隆盛らとともに
3月10日鹿児島入りを果たす。
妻おりょうとともに
6月上旬まで薩摩に滞在。
霧島の温泉めぐりや高千穂登山などを楽しんだ。
これが日本初の新婚旅行と言われる。
翌1867年11月 近江屋事件
刺客に襲撃され暗殺
33歳の生涯を閉じる
霧島旅行は、暗殺される
わずか1年半前の事だったのね。
龍馬にとっては、数少ない
平穏で幸せな時だったのでしょうねぇ。
もっと詳しく知りたい方は、
画像をタップ
拡大して読んでちょうだい!!
長い廊下の突き当りを
右に曲がっても
まだまだ続く展示物。
こちらは温泉についての由来と
立派な硫黄谷太鼓
お手を触れてはなりませぬ
正徳4年(1714 年)
飯田喜八が発見した硫黄谷温泉にはじまる
霧島温泉郷
江戸の時代には
薩摩硫黄湯(硫黄谷温泉)、
薩摩霧島湯(明ばん温泉)として
温泉番付にも登場していたという。
明治のころには、
硫黄谷温泉は霧島館(現霧島ホテルの前身)、
明ばん温泉は高千穂館がそれぞれあって
湯治場として賑わいをみせていたのだとか。
特に霧島館は九州一の隆盛を誇り
犬養毅、高橋是清、斎藤茂吉、与謝野晶子夫妻など
錚々たる歴史上の偉人たちも
こぞって宿泊したほどの名旅館であったという
この両方の源泉が、現在は、
霧島ホテルの広大な敷地内にあり
膨大な湧出量で
庭園大浴場に掛け流し
で利用されている。
ほぉ~~~
一見、ただの大きなホテルだが
由緒正しき歴史ある温泉宿だった
ほぉ~ら、
あなたも行きたくなぁる
そしてやっとたどり着いた
硫黄谷庭園大浴場
浴室への入り口前も広々。
雰囲気ある~
しかし長くなりましたので
次回、お楽しみの
大浴場編へ続く~~
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ちなみに、龍馬に会いに土佐まで行ってるんだけどね。
その時の龍馬についての解説…。
そうか、これで良かったのか?
なんだ、何日も悩む必要なかったわ(爆)。