とっちらかしてつらつらしていく。
チェーン店の存在意義。
(ここでのチェーン店の定義は長くなるので割愛する)
ワタクシは、それは2つあると思っている。
いや。心情的にもう少し正確に言おう。
チェーン店の本質的な存在意義は2つしかない。
と思う。
一つは、
社会地域のインフラとしての存在。
もう一つは、
雇用を創造する機関としての存在。
(個店はどうかというのは、これまた長くなるので割愛)
後者の雇用の創造というと、
正規雇用と非正規雇用があろう。
チェーンは、非正規雇用を生み出すことに比べ
正規雇用の創造は、
社会的な意義はないに等しいと思う。
なぜそう考えるかというのは、
これまた長くなるので割愛するが、
端的に言うと、
武蔵小山でも多くのチェーンが出しては撤退してるが、
撤退の際一番困ってるのはパートアルバイトさんらじゃないかって
思うってことなんやけど。まあ、それは良い。
話を戻す。
ということは、
飲食チェーン店の社員は、
その2つの為に仕事してるということになる。
社会のインフラの一つとして。
これは意義ある事だし、結構ハイレベルな事。
まあそれは良い。
いっちょ考えたいのは、
バイト君の小遣い稼ぎの機関を支える仕事ってとこだ。
そのクセ、
シフト埋まらないと社員が一番困るしバイト国ムカつくし、
自己犠牲の精神でシフトを支えるし、
人手不足を改善できない会社に憤りを禁じ得ない一方、
暇は時分にダラダラくっちゃべるバイト君にいら立つし、
暇な日は早上がりしてもらって人件費を抑えようとする。
そこの微妙な矛盾を真に飲み込んだり、
矛盾を矛盾とせず正当性をもって事にあたったりするには、
やはり、黒字経営に寄与できるスキルを
磨き続ける姿勢を持った方がええと思う。
でないと、
仕事へのやりがいは、
単に会社や上司先輩に押し付けられるものであり、
自ら構築していくものではなくなる。
やりがい・生きがいは自ら構築していかねばならない。
ワタクシはそう考えている。
「自ら構築したんだ!」と自負をもってこそ、
初めて周りの存在や
それらの己への影響ってものを
自ずから大事にできる感覚が身につくのだと思う。
そうすると自分にふさわしい精神的骨格ができる。
その骨格の正誤性などは関係ない。
究極的には
正否など誰にも分からないものだと思うので、
正誤性は関係ない。
と思う。
⇒つづく