自分の定義 | 繁盛のさせ方が未だ分からない 焼肉 鳴尾.b(なるお.べー) 牛赤身肉研究所

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最寄り駅4つもあるけどどこからも遠く、戸越銀座とパルムとの大商店街からは見事に外れ、視認性のない二階であり、専用階段入口は大通りから入った路地にある。そんなわびしさこの上ない場所で、平凡な初老オヤジがいつか繁盛させたいなとの日々のブログです。

大晦日に書いたブログで、
ん-、なんか昔、
ドラッカーでなんか読んで
自分なりに意訳したなぁと思いだし、
そして、探して見つけた。

今年以降はこれ読み返して、
自分を見失わないようにしないとなと。
思い出すの遅すぎた(苦笑)。


問題に気付かず
何ごとも起きてないように見える毎日が続くにつれ、
人は自分の位置づけや役割を当たり前のこととし、
特別の意識をもたなくなっていく。

やがて杜撰になる。

手を抜くようになり、
正しいことよりも都合のよいことを追いかける。

考えることをやめ、疑問を発しなくなる。

答えのほうは覚えていても、何が問題だったのかを忘れる。

自分という定義は規律である。

しかしやがて、自分という定義が体質になってしまう。
体質は規律の代わりにはなりえない。
自分という定義は石板の碑文ではない。仮説である。

常に、変化するもの、
すなわち、国、地域社会、所属する会社。
そして、マーケット、お客さん、スタッフ、技術についての仮説である。

したがって、
陳腐化し実効性を失う前に、
自分という定義を検証していかねばならない。