『北海道の地質的景観』 第25回 駒ケ岳 | 奈良の鹿たち

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『北海道の地質的景観』

第25回

<駒ケ岳>

 

 

 

北海道駒ヶ岳,は亀田半島の基部にある最も活動的な活火山の一つである。

50万年ほど前に噴火をくりかえしながら、1700m級の大きな円錐形の成層火山に成長しました。

5~3万年前の大噴火により、山体の上部3分の1ほどが大崩落を起し現在の姿に近い形になりました。駒ヶ岳には二つにピークがある。一つは山体の西にある剣ヶ峰(標高1,131m)、もう一つは山体の北にある砂原岳(標高1,112.2m)である。

数十回におよぶ火山活動によって、山頭部が大きく崩れ、火口原を取り巻く外輪山として、主峰の剣ケ峯、砂原岳、そして隅田盛(892m)、稜線の駒ノ背(約900m)、馬ノ背(約850m)が形成されました。

その後、2万5千年ほどの休止期を経て、6千年前に降下火砕物と火砕流を噴出し、ふたたび500年あまりの休止期に入りました。6000~5500年前に降下火砕物と火砕流を噴出し、さらに5100年ほどの長い休止期をおいたあと、江戸時代に入って活動が再開しました。

剣ヶ峰の山頂付近と砂原岳の西側は輝石安山岩の駒ヶ岳溶岩が露岩している。その周辺には1929年噴火より古い山頂部の火砕流が分布している。

 

赤井川登山道の馬ノ背から見た剣ヶ峰:ゴツゴツした独特の山容を示す。構成しているのは灰黒色の輝石安山岩(駒ヶ岳溶岩)である。左のなだらかな山体は円山で1929年噴火時の火砕物で覆われている。


今の駒ヶ岳は、江戸時代以降4回目の活動期にあるわけです。
①1回目の噴火は、寛永17年(1640年)の寛永の大噴火で、ほぼ現在の山容が形成されました。 記録によると、数時間の激しい山鳴りのあと、山頂付近の一部が大崩壊し「岩屑(がんせつ)なだれ(低温の火砕流)」が発生しました。なだれが噴火湾に流れ込み、大津波が起きて700人以上の犠牲者が出ました。噴火は3日ほど続き、その後は急速に鎮静化して70日ほどでおさまったといいます。また南に流下した「岩屑なだれ」によって折戸川が堰き止められ大沼,小沼が形成されました。

 

②2回目の大噴火は、安政3年(1856年)9月25日に起きた安政の大噴火です。記録によると、その日、朝9時ごろから激しい噴火がはじまり、東山麓に厚い降下火砕物を降らせ、17軒の家屋が焼失し、2名の死者と多くの負傷者を出しました。一方、東南山麓では降下火砕物に続いて火砕流が流れ出し、20人以上の犠牲者が出ました。この噴火で山頂に直径200mほどの火口(安政火口)が生じ、その中に溶岩ドームが形成されました。

 

③3回日の大噴火は、安政の大噴火から73年後の昭和4年(1929年)6月に発生し、火砕流をともなう破局的な規模で、わが国では今世紀最大といわれます。昭和4年の大噴火です。噴出した火山灰や軽石などは、長崎県雲仙・普賢岳の約2倍、しかも一昼夜で噴出しました。この噴火では、6月15日、鳴動。同16日、2度の地震。同17日未明、零時30分ごろから小噴火がはじまり、10時ごろはげしい軽石噴火となり、噴煙柱 は高度1万4千mに達し、12時30分ごろにはいよいよ勢いを増し、火砕流も発生し、同日24時ごろまでつづき、その後急速に衰え18日3時に終息しました。しかし、翌日は降雨のため泥流が山麓を襲い、被害を増大させたといわれています。この噴火で南東山麓の鹿部という村(現在の鹿部町)は、1m以上の降灰、降下軽石などでおおわれ、死者は2名と少なかったものの、家屋の全焼全壊365戸、半焼半壊1500戸のほか、家畜や耕地、漁場などにも甚大な被害をもたらしました。この噴火はまた、安政の火口を埋め尽くし、新たに昭和4年大火口(直径230m)が形成されました。

 

④4回目の噴火は、昭和4年の大噴火から13年後、昭和17年(1942年)11月16日、朝8時ごろ鳴動とともに噴火がはじまり、噴煙が8千m上空に達し、火口付近に は火柱が観察されました。火砕サージも発生しましたが、幸い山麓にはいたらず、火山灰が数cm積もったにとどまり、とくに大きな被害はありませんでした。しかし、山頂火口原には、北北西から南南東方向に延長約1600mの割れ目が生じました。

「寛永の大噴火」(1640年)以来、現在までの350年ほどのあいだに、駒ヶ岳は大小十数回の噴火をくりかえしています。もっとも新しい噴火は、平成10年(1998年)10月25日の小噴火です。 その後,静穏期に入ったと考えられています。

駒ヶ岳には二つにピークがある。一つは山体の西にある剣ヶ峰(標高1131m)、もう一つは山体の北にある砂原岳(標高1112m)です。剣ヶ峰の山頂付近と砂原岳の西側は輝石安山岩の駒ヶ岳溶岩が露岩していて、その周辺には1929年噴火より古い山頂部の火砕流が分布している。

山頂部には直径2kmの火口原があり、山頂直下からガリ侵食が始まり、一部で深いV字谷を形成し始めている。七飯町の大沼方面からみると、横に長くなだらかで女性的印象を与えるが、森町方面や鹿部方面からみると、荒々しい山肌と傾斜の男性的な激しい姿を見せる。

地質は安山岩質であるが、軽石などの火山砕屑物を大量に噴出する特徴があり、山体の周辺に厚く堆積している。

 

 

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次回は第26回「大沼公園」

 

 

(担当 G)

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