『北海道の地質的景観』 第24回 函館 | 奈良の鹿たち

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『北海道の地質的景観』

第24回

<函館>

 

 

 

およそ2500万年~100万年前にかけての火山活動で海底火山の噴出物が土台になり、その後約90万年前に噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな函館島として出現。海流や風雨で削られて孤島となりました。

その後、津軽海峡の潮流や亀田川や函館山から流出した土砂が堆積して砂州ができました。

約5000年前に地表の隆起が生じて亀田半島との間に中央部分がくびれた独特の地形「陸繋島(トンボロ)」が形成されました。そして約3000年前に函館湾が誕生しました。

現在の市街地の主要部分は陸繋島となった標高334m、周囲約9kmの函館山(臥牛山)から箱館平野や亀田半島に繋がる砂州にあります。

函館市西部地区は函館山の山麓に位置するため、坂道が多い地形になっています。

函館山の山麓に谷地頭(やちがしら)温泉があります。谷地頭は、函館山の古い火口であることが分かっています。谷地頭温泉は函館山を作ったマグマを熱源とした温泉で、茶褐色の食塩泉が特徴です。

 

<函館 銭亀沢層>

 

 

銭亀沢層(ぜにかめざわそう)は、函館空港の下あたりから、ずっと海岸線に沿って崖になっています。地質調査では、函館空港の台地や、千代ヶ岱、五稜郭から杉並町にかけての小台地と広く分布していることが確かめられており、莫大な量の火山灰が噴出したことが分かっています。函館はこの噴火で数十mもの火山灰に覆われました。4万1000年前の氷河期は、海水面は今より100mほど低かったと考えられています。当時、銭亀火山は陸上にあり、大爆発が続き莫大な火砕流を噴出しました。その時起こった火砕流は大きいものや小さいものも混ざり合って、一気に流れてきて積もりました。銭亀沢火砕流と呼ばれています。この噴火で銭亀沢カルデラがつくられました。その後、時間は流れ、氷河期が終わり、海の水が戻ってきました。銭亀沢カルデラは、海とつながり湾となり、そして海の底へと沈んでいったのです。現在は汐泊川の河口沖合約2.5kmの津軽海峡海底にあります。海の波は、それからも銭亀沢層を削り続け、海沿いに白い崖を作っていきました。

 

同時に海水面の進退で海岸段丘も形づくられ、函館空港は銭亀沢層の海岸段丘の上につくられています。

湯の川温泉の熱源は函館山マグマ由来のものとは違うと推定され、銭亀火山が熱源ではないかと考えられている。

 

 

 

 

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次回は 第25回「大沼公園」

 

 

(担当 G)

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