『北海道の地質的景観』 第23回 日高山脈 カール | 奈良の鹿たち

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『北海道の地質的景観』

第23回

<日高山脈 カール>

 

 

 

日高山脈は、北は狩勝峠の佐幌岳から、南は太平洋に突き出した襟裳岬まで東西の幅は約50km、南北150kmにわたって連なる北海道の背骨部を構成する山脈です。

北部には2052mの幌尻岳やピパイロ岳(1917m)、戸蔦別岳(1959m)など2000m級の山があります。日高山脈の地形は、全体として概観すると、東側は十勝平野に向かって断層による急傾斜で、平野と接する所には広大な高位複合扇状地を展開して、雄大な十勝平原の景観を見せます。十勝側からみると、日高山脈は、平野に立ち上がって連なる急峻な山並みとして見えます。

カールなどの氷河地形は主稜線の東側にはあります。日高山脈の東では、急峻な地形の山地を削りながら流れた川は、平野にでると大きな扇状地を形成します。それが十勝平野で、集まった川が十勝川です。

一方西側では、河川は広い平野を持つことなく、海に流れ込んでいます。そして、山並みを眺めると、何段かの階段状の断層による山並みを形成しながら海に達します。東側と比べると西側は比較的傾斜が緩やかになっています。

 

日高山脈の地形的な特徴は、壮年期のけわしい山容で深いV字形の谷、急峻な痩せ尾根が多いことです。

幕別町虫類(まくべつちょう ちゅうるい)で、ナウマンゾウが死んだ12万年前のころは温暖な気候でした。しかし8万年前ころからだんだんと寒くなり、氷期が1万年前ころまで続きます。氷期はそれまで何回もあったのですが、これが直近の氷期なので「最終氷期」と呼ばれています。

中でも、およそ2万年前のころにはぐっと冷え込み、最も寒いときの気温は、年平均で今よりも6~9度低かったと考えられています。

最終氷期には、日高山脈に氷河が青く輝いていました。当時、氷河は1年中、日高山脈にありました。

氷河の出来た跡は、アイスクリームをスプーンですくったような単円形の谷地形となります。このような、氷河氷ができた山頂付近の谷をカールといいます。日高山脈には、戸蔦別岳、幌尻岳,ペテガリ岳の頂上付近をはじめ約100ヶ所所のカールが十勝側にあります。とくに戸蔦別岳(とつたべつだけ)(1959m)のカールでは二段のモレーン(氷河によって削られ取り込まれた岩片などが,氷河の末端で堆積した長い丘のような地形)があります。日高山脈には2万年ほど前の氷河よりもより古い時代の氷河(5~4万年前)があることから、二度の氷期があったことを示しています。

 

約1億2000万~6800万年前の白亜紀、北海道西部はアジア大陸の縁辺にありました。北海道東部は現在より北に位置していました。二つの地塊の間には、海溝と呼ばれる地形的に深い溝が存在し、アジア大陸縁辺には比較的浅い海域があり、そこで堆積したのが蝦夷層群です。

その後北海道の西部と東部の地塊が衝突を起こしました。その影響で北海道中軸部周辺(南は浦河町周辺から北は稚内市宗谷岬まで)には断層や褶曲が発達し、日高山脈のような地形的な高まりもできました。

蝦夷層群は泥岩や砂岩、礫岩で構成されており、堆積期間は5000万年以上あり、また厚さも8000mを越えます。全体を通して海の比較的深い所から浅い所まで色々な環境で堆積した地層なのです。地層が堆積した時間も長く、また堆積環境も多様であるため、様々な種類の化石が産出します。北海道産のアンモナイトの多くは、蝦夷層群と呼ばれる地層から産出したものです。

実は、日高山地からは、アンモナイトやイノセラムス(大型二枚貝)などの化石が出土しています。それは、日高山脈が蝦夷層群という地層帯にあるためです。

 

 

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次回は 第24回「函館」

 

 

(担当 G)

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