『生物の変遷と進化』第10回 植物の上陸・節足類の繁栄 | 奈良の鹿たち

奈良の鹿たち

悠々自適のシニアたちです

 

『生物の変遷と進化』第10回

<4億8540万年~4億4380万年前>

(オルドビス紀)

「植物の上陸・節足類の繁栄」

 

 

(三葉虫)

 

 

  

20~15億年前に光合成から生成されたオゾン層が厚くなり、紫外線から生物を守ることが可能になりました(DNAの破壊)。その結果、約4億8000万年前に植物が陸上に進出しました。陸上植物の祖先は緑藻類(ジャジクモ)でした。植物が陸上に進出するためには、植物体を維持する維管束、水分を吸収保存する根、水分の消失を防ぐクチクラ層の形成が必要でした。

これらの植物は、根や茎が発達しておらず、地面を這うように成長していました。

色素体をもつ緑色の藻類のゼニゴケの化石がオマーンで発見されています。

 

カンブリア紀の軟体性生物は激減し、硬い骨格をもつ動物が広がりました。

海を支配していたのは節足動物で、多様化大型化していきました。なかでもウミサソリ は、2mを超す体長で頂点に君臨していました。植物に続いて陸上に出たのは節足類でした(節足動物の方が先に上陸したという説も有力です)。

そしてオルドビス紀は「三葉虫の大繁栄時代」で、形態も立体的になりトゲをもつようにもなりました。三葉虫は今後3億年もの間、生存し続けます。

胴体部分が、3つに分かれているため三葉虫という名前がつけられました。

カンブリア紀(約5億4200万年前)から繫栄し、3億年の間繁栄することができました。1万種以上が知られる多様なグループで、化石も多産し、示準化石としても重視されています。三葉虫の化石は、古生代の当時海だった地層に大変豊富に含まれています。また、驚くほど複雑な形態、精巧な装飾、奇妙な眼、多くの風変わりな構造をもつなど、時代の変遷とともにさまざまな特徴のある三葉虫が出現します。

三葉虫は、最初に視力を持った動物のひとつと考えられています。多くの種では、トンボの目のような複眼がみられるので、ものの形が認識できるほど視力が発達していたと思われます。そして硬い殻。この時期、大部分の動物は、硬い殻などもたず、やわらかい軟体動物でした。

なぜ、三葉虫は、視力、硬い殻が発達したのでしょうか。それは、この時代に三葉虫を餌とする捕食者(オウムガイ)が現れたことと深い関係がありそうです。視力をもって敵をすばやく察知して逃げ、硬い殻で身を守ることができました。

衰退、絶滅の正確な理由はわかっていませんが、シルル紀およびデボン紀にサメを含む魚類が登場していることと何らかの関係があるという説があります。そして最終的にペルム紀末期(約2億5100万年前)の大量絶滅イベントで絶滅しました。しかし、その系統の一部は生き残り、比較的に近縁な生物としてカブトガニがいます。現在のカブトガニには、、約2億年前(ジュラ紀)の化石が発見されており、形態的な特徴はほとんど変わっていません。

 

この時代はまた筆石時代と呼ばれるほど筆石(フデイシ)が大繁栄しており、ヒトデやウミユリなどの棘皮動物も増殖しました。

殻長が数メートルにも及ぶ軟体動物のオウムガイ が進化し、肉食動物として活動していました。オウムガイの繁殖は、獲物となった三葉虫を絶滅寸前まで追い詰めました。このオウムガイが進化して、シルル紀にアンモナイトが生まれてきます。

また脊椎魚類の祖先アランダスピス は体長15cmほどで、おとなしく海底の泥の中の微生物を食べていました。

 

 

====================

次回は 第11回「オゾン層の形成」

 

 

(担当B)

====================