サンスクリット語「Avalokiteśvara」←観音、観世音は、的確な訳語ではない
・7世紀玄奘:『大唐西域記』巻3「烏杖那(Udyana)国」の条(T51,883b)
阿縛盧枳低湿伐羅(Avalokiteśvara)→唐の言語で観自在
阿縛盧枳多(Avalokita)―訳:観
伊湿伐羅(Īśvara)―訳:自在
以前の光世音、観世音、観世自在という訳も訛謬
(Avalokita〔観〕-svara〔音〕と推定)
・ 7世紀玄応(649):『一切経音義』
観世音(旧訳)=梵語;阿婆盧吉低舎婆羅=中国;観世自在
旧訳の観世音、光世音はともに訛り
インドの貝葉本…舎婆羅(インドの貝葉本…舎婆羅(〔ī〕śvara)=自在
雪山(パミール山塊あるいはカラコルム山系か)から中国までの経典
…娑婆羅(svara)=音
⇒舎(ś)と娑(s)の訛失
・慧立(614-649-):『大唐大慈恩寺三藏法師伝』(『慈音伝』)巻2「烏杖那国」の条
菩薩の説明で『西域記』を引用し、「観自在」とするべきとする玄奘の注記も採用
⇕
『慈恩伝』巻1…玄奘が「観音」菩薩を念ずることによってたびたび危難を逃れたことを伝える
*「観自在」の名を用いていない
① 道案内の胡人に襲われそうになったときに「経を誦し、観音菩薩を念じた」(T50、232c)
② 850里(約350km)の間人影も草も水もない莫賀延磧を渡るときに「観音菩薩および般若心経を念じ」た
③ 蜀(四川)で貧しい病人を救ったところ、この病人からお礼として『心経』を得た→悪鬼・異類に出会い、観音菩薩を念じても効果がないときにこの経を
読誦すると悪鬼・異類は消え失せたと伝える。
④ 砂漠で道を失い、馬も倒れてしまったが、「観音を黙然」すると馬は起き上がりさらに20余里進み、再び倒れるが夢に現れた「一大神」の励ましを受けて、一池水に辿り着いた
『大唐故三蔵玄奘法師行状』(T50、214a~220c)
*『心經』にまつわる話、経を誦した話は語られない。
※ 玄奘が念じたのは「観自在」だったか、「観音」だったのか
※ 蜀で助けた病人から得た『心經』とは何だったのであろうか
→・鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明呪経』(T8、847c);「観世音菩薩」
・玄奘が『心經』漢訳の草稿を既に持っていた(ありえそうにもない)
【現存の玄奘訳『心經』は「観自在菩薩」で始まっている】
◎『慈恩伝』巻1と巻2の間の観音に関する記述のズレの背後に隠されている問題
・ 菩薩の名称と性格の起源と変容
・ 中国仏教に重要な「浄土教」に深く関わる「観念」と「称名」にまつわる問題