東日本大震災からまる4年

発生当時から現在まで、有志の生徒の皆さんが思い思いの形で復興支援や被災地、被災者の皆さんに思いを致す活動をしています。

その中のひとつ、「ともしびプロジェクト」
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気仙沼発のこのプロジェクトは、毎月11日に日本各地でともしびを灯し、被災地、被災者の皆さんへ思いを致すというものです。

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うちの生徒たちが参加して2年になります。継続して実施してきた生徒の皆さんに深い敬意を表します。

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3.11日は、発生時刻に黙祷を捧げ、その後、炊き出し訓練を兼ねて豚汁の提供、暗くなってからキャンドル点灯を行いました。

約100名ほどの生徒の皆さんが参加してくれました。
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「風化」が危惧される状況で、毎月のこのプロジェクトが、生徒の皆さんに被災地を思う機会を与えています。

 これからも生徒の皆さんのバックアップをしていきます。
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2月7日に本校で開催した、NIE(教育に新聞を)セミナー「デジタル時代のNIE」での一コマ。



その日はじめてタブレットPCと2種類のデジタル新聞に触った生徒へこう質問しました。
「つぎ使うなら、デジタル版の毎日新聞と毎日新聞Tap-iのどっちを使う?」
どちらも毎日新聞のデジタル新聞ですが、デジタル版が紙面に近いのに対して、Tap-iはタブレット対応したデジタル新聞。まるで内容が違います。





ちょっと考え、こちょこちょと相談した生徒(中1)。
「場面に応じてよりよい方を使います!」
といった返答をしました。賢い!



この「賢さ」については、単純に「教師の意図を汲んだメタ認知ができた賢さ」と考えていましたが、この中1たちは私の授業を受けたことがなく、したがって、私が授業中に「教師の学習意図を考えさせる」ことを知らないはず。
もしかすると、「ポスト構造主義」の時代にあって、私には私の育ってきた環境で形作られた考えや価値観があるが、それは絶対的でも普遍的でもなく、異なる環境下で考えや価値観を形成してきた他の人にしてみると、それは奇妙であるかもしれず、したがって、どちらが良い悪いのような決めつけはできない。このような考え方が「当たり前」になっていることが、生徒たちの返答になっているのかも、という考えが浮かんできたわけです。

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「当たり前」なので、「どっちがいい?」と聞かれた時に、「どちらにも良いところがあり、あまりよくわかっていない私には判断がつかない」と表明している、あるいは、そう表明するのが「無難な選択」になっているのかも、とまで思いました。考えすぎかなぁ。
「双方の良い点を場面に応じて生かす」という返答に喜ぶ「私」もまた、ポスト構造主義で自分自身が構造主義的な考え方をしていることに無自覚であるのだとも言えると思いました。
メタ認知も同様でしょう。さて、それに気づいて、で、どうする?

おお!この問いかけも構造主義的だ^_^;

どうしたら脱け出せるんだろう←これも構造主義的

面白いアポリアです(((o(*゚▽゚*)o))
白鳥は悲しからずや海の青空のあをにも染まずただよふ  若山牧水




中学2年生の教科書にでてくるこの短歌。若い頃に知って、自分自身の姿と白鳥の姿とを重ね合わせたことがある方もいらっしゃるのでは。




今回、中学2年生に出した課題は、「青」と「あを」表記が違うのはどうして?

「海の色と空の色は、青で似ているけれど、じつは違うから」
「海に青という漢字をつかったのは、直線的な視覚イメージで海の面に鳥が浮かんでいる様子を表すためで、あをは曲線的な視覚イメージで空を飛んでいる様子を表すため」

といった考えが出てきました。

そこで、「青とあを」で色が違うとか、形が違うというのは、誰でも気がつくから、もっと別のこと考えられない?と投げかけなおすと・・・難しそうです。


白鳥は孤独で、海でも空でも孤独で、だからすっごく孤独で・・・といった考えは出てきます。

まぁ、海と空が違うというのはいいんだけど、それも青とあをの違いからの読みだし、「にも染まずただよふ」って書いてあるからねぇ・・・他に考えられない?


こういった授業は面白いですし、生徒たちも「うんうん」悩みつつけっこう楽しそう。でも、まだ、教師側に「答え」があると生徒たちは見透かしていますので、「そんな答えなんか知りたくない!」となったら、考えなくなっちゃいます。

ここが「考えさせる時」にとっても気をつけなければならないところといつも思っています。「先生はどうせ答えを知っている」は、「考えずに答えを知れたら得」とか、「こいつ知ってるくせに嫌みだな」になってしまうかもしれないからです。

したり顔の教師が「学びから逃走する生徒」を作ってしまいます。

もちろん、教師はある程度の答えを持っています。

たとえば、「なぜ海なのか、空なのか?」から解釈に切り込んだ、海という深く広い世界(社会)、空という広く空漠な世界(社会)、そのどちらにも属することができない存在の「白鳥」、しかし、白鳥は双方の世界(社会)の中で生きねばならないという「切なさ」を持つ存在だ・・・のようにです。

これを知って、テストに書けたらOK?

そんな訳はありません。

これもまた、ひとつの文学世界の解釈に過ぎない。でも根拠はある。このことを日常で生徒たちに共通理解してもらい、根拠を持って、文学世界を解釈することを「おもしろい」と感じてもらう工夫が必要です。

教師に、「おもしろがること」「わからないところがあると認めること」「常に自分を越える発想やひらめきが生徒からでてくると期待すること」が態度としてそなわっていれば、工夫できると思います。

そもそも文学作品って、「ことばで説明できない人間の心のありようや、世界認識なんか」を、物語ることによってかろうじて「読み取れる」ように心血をそそいだ表現です。

説明はおのずから文学作品の本質をはずします。あるいはほんの一部しか伝えられません。そういうものであると観念して授業にのぞむと、不思議と生徒たちは面白がってくれるようです。