白鳥は悲しからずや海の青空のあをにも染まずただよふ  若山牧水




中学2年生の教科書にでてくるこの短歌。若い頃に知って、自分自身の姿と白鳥の姿とを重ね合わせたことがある方もいらっしゃるのでは。




今回、中学2年生に出した課題は、「青」と「あを」表記が違うのはどうして?

「海の色と空の色は、青で似ているけれど、じつは違うから」
「海に青という漢字をつかったのは、直線的な視覚イメージで海の面に鳥が浮かんでいる様子を表すためで、あをは曲線的な視覚イメージで空を飛んでいる様子を表すため」

といった考えが出てきました。

そこで、「青とあを」で色が違うとか、形が違うというのは、誰でも気がつくから、もっと別のこと考えられない?と投げかけなおすと・・・難しそうです。


白鳥は孤独で、海でも空でも孤独で、だからすっごく孤独で・・・といった考えは出てきます。

まぁ、海と空が違うというのはいいんだけど、それも青とあをの違いからの読みだし、「にも染まずただよふ」って書いてあるからねぇ・・・他に考えられない?


こういった授業は面白いですし、生徒たちも「うんうん」悩みつつけっこう楽しそう。でも、まだ、教師側に「答え」があると生徒たちは見透かしていますので、「そんな答えなんか知りたくない!」となったら、考えなくなっちゃいます。

ここが「考えさせる時」にとっても気をつけなければならないところといつも思っています。「先生はどうせ答えを知っている」は、「考えずに答えを知れたら得」とか、「こいつ知ってるくせに嫌みだな」になってしまうかもしれないからです。

したり顔の教師が「学びから逃走する生徒」を作ってしまいます。

もちろん、教師はある程度の答えを持っています。

たとえば、「なぜ海なのか、空なのか?」から解釈に切り込んだ、海という深く広い世界(社会)、空という広く空漠な世界(社会)、そのどちらにも属することができない存在の「白鳥」、しかし、白鳥は双方の世界(社会)の中で生きねばならないという「切なさ」を持つ存在だ・・・のようにです。

これを知って、テストに書けたらOK?

そんな訳はありません。

これもまた、ひとつの文学世界の解釈に過ぎない。でも根拠はある。このことを日常で生徒たちに共通理解してもらい、根拠を持って、文学世界を解釈することを「おもしろい」と感じてもらう工夫が必要です。

教師に、「おもしろがること」「わからないところがあると認めること」「常に自分を越える発想やひらめきが生徒からでてくると期待すること」が態度としてそなわっていれば、工夫できると思います。

そもそも文学作品って、「ことばで説明できない人間の心のありようや、世界認識なんか」を、物語ることによってかろうじて「読み取れる」ように心血をそそいだ表現です。

説明はおのずから文学作品の本質をはずします。あるいはほんの一部しか伝えられません。そういうものであると観念して授業にのぞむと、不思議と生徒たちは面白がってくれるようです。