一元論二元論
リタ ヨガをやっている人は『ヨーガ・スートラ』とか『バガヴァッド・ギーター』を読むことが多いと思うんですが、それらも難しいですけど、ウパニシャッドもまた難しいですね。
岡本 そうですね。ブラフマンは正直説明しずらいですよね。それは体験できるようなものではなく、また、言語を超えたものなので、それ自体を表現しようとするとどうしても矛盾した言葉が並んでしまい、混乱させてしまうというのは一つの問題です。そこで、まずは二元論から考えていくのが一番分かりやすいわけです。
では、二元論の基本的な考え方についてですが、リタさんは自分の存在について説明するとき、どのように答えますか?
リタ えーと、この体ではないですよね。
岡本 それは先ほど実態がないという話をしましたよね。
リタ じゃあ、心でもないってことですよね。その背後に何か存在があって。
岡本 その存在をどう説明します?
リタ うーん、その存在がどういう大きさで、どんな形をしているのかっていうのも答えられないし、難しいですね。
岡本 そうですね。まず、存在について一番説明しやすいのは、見る者と見られるものの関係ですよね。ある対象があって、それを認識する者がいる、その関係で存在が説明できます。つまり、対象物があってもそれを見る者がいなければそれは存在できないし、反対に、見る者だけがいても対象物がなければ自分の存在は説明できません。このような相互関係の中で存在を説明するのは二元論で、この見る者をプルシャ(純粋意識)、見られる物をプラクリティ(根源物質)と呼びます。
一方で、一元論になると非常にややこしくなります。ヴェーダーンタでパラブラフマンとか「それ」と呼んでいる第一原理は、二元論を超越したものなので、説明ができないからです。それは見る者でも見られる物でもない、人間の認識の彼方にあるものです。
リタ パラブラフマンって、いわゆるワンネスのようなものではないんですか?
岡本 違います。スピリチュアルの文脈で使われるワンネスは、単に「一体感」のような意味で、それは瞑想中に見る光のビジョンや、突然起きる宇宙との合一であったり、個人的に起きる様々な経験を指しています。しかしこういった体験で得られるワンネスは、見る者と見られるものの関係からは離れていないわけです。つまり、そういったビジョンや体験という対象とそれを認識する者もいるからです。パラブラフマンはそういったビジョンや体験には一切属していません。
リタ スピリチュアルなどでは、そういったワンネス体験をすれば覚醒するってことになっていたりするんですが、それは一元論や非二元では語られないのでしょうか?
岡本 ありません。そういった体験はプラクリティによるのもので、すぐに変化して去ってしまうものだと考えるからです。つまり、光のビジョンや宇宙との一体感も、そのままでいたらその人は日常生活ができないわけで、結局は普段の感覚に戻ってくるわけです。その後は、そういった体験をどう所有するかはその人によります。「あれは素晴らしい覚醒体験だった!」と強く思い込む人もいれば、「なんか不思議な体験だったな」で終わる人もいるでしょう。それをどう解釈するかはその人の欲求によります。
一つの問題は、現代のスピリチュアルの業界で覚醒体験が一種の講師資格のようなものとして考えられていることです。つまり、「スピリチュアルビジネスで集客したければ、神秘体験の一つや二つ当てておきたい」という欲求があって、そのような体験が誇張されるのです。そういったワンネス体験は偶発的に誰にでも起きうるものなので、それ自体に何か意味があるわけではありません。その体験をどう表現するかは、受け手の感性にかかっています。
一方で、パラブラフマンのような第一原理は、体験や言語で捉えるものではありません。しかし、少しでも説明しようとするなら、それはプルシャでもプラクリティでもないものです。ですから、私たちはまず二元論から出発し、それを乗り越える形で一元論を理解することができるのです。
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