今回は、二ヤマの一つサントーシャ、足るを知るについて。
足るを知る、つまり、今あるもので満足することですね。
日本でも昔から知られている言葉なので、なんとなく理解はしやすいですが、実践するとなると難しいというお話。
この心の三つの性質の内で、欲望と思考はサントーシャに達することがありません。
例えば、レストランに入ってハンバーグを注文します。
一口食べると、
「あれ、この間食べたハンバーグの方が美味しかったな」
と思います。
あるいは、
お隣から、旅行のお土産をもらいました。
「なんか安そうだな。この間うちが旅行に行った時にお隣に買ったお菓子の方が高級だぞ」
と思います。
このように、思考はすぐ他の物や他の人と比べて、それだけを見て満足するということがありません。
私たちの欲望もまた、「私を喜ばせてくれるものがどこかにないかな」といつも探し回っています。
ケーキを食べて満足したなと思ったら、今度はステーキが食べたくなります。
新しいコートを買ったばかりなのに、セールで違うデザインのコートを見ると「これも欲しい」と思います。
このように、思考と欲望に心が振り回される人は、サントーシャを得ることができません。
欲望や思考が得る幸せは、ほんの一瞬に過ぎないので、思考は絶え間なく不安の種を探し続け、欲望は新しい快感を求め続けます。
しかし、心に智慧のある人はいつもアートマンに専念してサントーシャを得ます。
例えば、天気のいい日に外を散歩します。
ある人は悩み事も心配ごともなく、清々しい空気をいっぱい吸い込んで深呼吸し、気持ちよく外を歩きます。
「あ、こんなところに花がさいているな」
「ここにこんな建物ができたんだ」
いろいろなものを見て楽しみます。
ある人は、明日の仕事のことや、お金の心配が頭から離れず、何かにずっと心が囚われ続けています。
「明日仕事であの人に会うのやだな〜」
「あ、カッコいい車だ。お金がもっとあったらあれ買えるのにな」
「うわ、こんなところに自転車とめてたら通りにくいじゃん。人の迷惑も考えろよな」
「あのカップル、昼間っからイチャイチャして目障りだな」
なにかを見るたびにいちいち思考が動き、イライラしたり心配したりします。
この二人は全く別の道を歩いているというわけではありません。
全く同じ道を歩いていても、その感じ方は全く異なります。
これは人生においても同じです。
ないない、不安だ不安だと思って生きる人。
いつもあると思って満足してすごす人。
このように、サントーシャを与えることができるのは、思考でも欲望でもなく、智慧の恩恵によるものだと気づくことができれば、そこから全く違った景色を見ることができます。
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