前回は心の三つのエネルギーについてお話しました。
前回の記事はこちら 愛と仕事
繰り返しお伝えしていることですが、ヨガでは心を私の本質とはみなしません。
一方で、多くの人にとって心はやはり「私」そのものです。そして、心が私になっているとき、私は心の操り人形です。本来は、私が心の支配者です。
しかし、漠然と心を捉えているだけだと、実際今自分の心で何が起きているかということが分かりません。そのために、心の性質を切り分けて考えているのです。
それぞれの心の性質をよく理解して、心を俯瞰(ふかん)してみるといいですね。「私」を心に置かず、「私」の中で心が動いているという感覚で心を眺めてみます。
こんな感じです。
欲望はいつも自分を喜ばせるものを探しています。それを見つけると我慢できなくなり、何とかして手に入れようと動きます。手に入れると喜びますが、その喜びはすぐ去ってしまいます。
また、私たちを怠(なま)けさせようとするのもこの欲望の性質です。すごく疲れているときに休んだり、お腹が空いているとき食べたりする場合には素直に欲望に従わなくてはいけませんが、「もっと食べたい」「おいしいものが食べたい」「もっと寝ていよう」「もう疲れたから休もう」「めんどくさい」と、必要以上にこのような思いを起こします。
ですから、欲望が起こったとき、
「君の要求は本当に正しいのか?ただ自分が楽をしたい、気分良くなりたいと思っているだけではないのか?」
と少し批判してみる必要があります。
思考はいつもいろいろなものを分析したり比較したりします。
何か問題が起きると、「なぜそうなった?」「誰のせいだ?」「ああしておけばこうはならなかったのに」と激しく動揺します。
また、何かと比べて「あいつより私の方が偉い」「私よりあの人の方が偉い」「あいつは私より安いものを持っている」「あの人の方が私より高いものをもっている」など、地位や値段を比べます。
もちろん、問題を解決したり、より良いものを選ぶとき分析や比較は必要です。しかし実際は、ほとんど必要のない分析や比較を繰り返しているのです。
ですから、思考が起こったときは、
「おいおい、いつまで考えているんだ。それ以上考えても答えは出ないぞ。やってみるしかないじゃないか」と思ったり、「そんなに他人と比べてどうするんだ。 他人と比べて優越感を得たところで私が幸せになるのか?」
と思って、思考を客観的に眺め、必要以上に考えないようにします。
智慧(ちえ)は、直感、愛、叡智の働きです。感動したり、心の底から「これだ」と思う決意が起きること。「だれか困っている人がいれば助けたい」「他人のために働きたい」という愛の衝動。「私はどうしたら苦しみから解放されるのか」という智恵の働きです。
ですから、智慧が起こったときは、
「あなたが言うなら、それは間違いありません。それを実現するのは困難かもしれないが、そのために考え行動しましょう」
と思って智慧が起こった事を喜び、その言葉に従おうとします。
このように、三つの要素で捉えてみると心の動きが分かりやすくなります。
それぞれの要素をエネルギーと考えてもいいですね。どのエネルギーを使うか、出来るだけ抑えるか、という選択ができるようになると、怒りやイライラ、不安とは無縁の生活が出来るようになってきます。
特に欲望や思考にとらわれすぎていたら、やはりそこから離れることが必要ですね。
HP
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