自意識についていろいろお話ししてきました。
今回最後にまとめとして考えておきたいのが、自意識が原因で死を選ぶ人までいるという事です。
「これが私だ」という自意識の対象が危機的状況にあるとき、私たちは強い苦しみを感じます。
肉体的な苦痛はある程度は我慢できます。痛みを薬で柔らげることもできます。しかし自我(エゴ)の苦しみだけはどうすることもできません。
こういった苦しみから逃れられない時、どのように対処すればいいのでしょうか。
具体的に考えてみましょう。
Fさんには学生時代からあこがれていた職業と会社がありました。必死で就活しなんとかその会社に入社できました。
内定の連絡が来た時は飛び上がるほど嬉しく、自分と同じくらい家族も喜んでくれました。友人達にもうらやましがられました。
ワクワクしながら入社しましたが、実際の仕事は会議と資料作りで寝る間もないほどの激務です。思っていたような案件にも関われない。上司も「なんでこんな簡単なことが出来ないんだ!これぐらい出来て当たり前だろ!」と当然のように仕事を押し付けて来ます。
Fさんは辛くて「休みたい、もう辞めたい」と何度も思いますが、その度に、
「これは自分がやりたかった仕事だ、辞めたら私には何も無くなってしまう」
「家族も喜んでいるし、友達にも自慢した手前辞めるわけにはいかない」
「上司は出来るって言ってるんだから、出来なかったら自分の能力が認めてもらえない」
このように考えて、自分を追い込んでしまいます。それで、必死に頑張って耐えて耐え続けます。
しかし、ある時糸がプッツリ切れてしまいます。
そして、
「死んで楽になりたい…」
と思う前に、
次のように考えてみなければいけません。
「確かにこれは以前自分がやりたかった仕事だ。しかし、実際やってみたらどうだろうか? 今、私は本当に喜んで仕事が出来ているだろうか。そこにあると思って行ってみたら、実際はなかったなんて事はよくある事だ。企業や職業という肩書きに自分の可能性を縛り付けてはいけない」
「家族や友人の目線がなんだというのだ。他人の目はごまかせても、自分の目をごまかすことはできない。であれば、他人からどう見られるかではなく、自分がどう見るかだけが重要なのだ」
「上司の評価は私にとってどんな意味があるのか。それは一つの基準にしか過ぎない。それを私の価値の全てととらえるのは間違っている。能力がないと思う人には勝手に思わせておけばいいし、私には一切関係のないことだ。私は自分が出来ることだけを一生懸命やっていればそれでいい」
このように考えて、
「過去の自分が作った自分像」
「親しい人たちが作った自分像」
「自分を評価する人たちが作る自分像」
をぶち壊します。
以前は、この自分像に合わせて自分を作ろうと必死でした。
また、同じように作るのが難しいとき強いストレスを感じます。
しかし、これらの自分像を破壊すれば、私は自由になります。
実際これらの像は、彼らが作ったものでもなく、自分で作り出した幻に過ぎません。
自意識の束縛から離れて、自分の目線で自由に物事を見るとき、それは識別のヨガです。
識別することによって、エゴの苦しみから離れることができます。
それでは、次回からは別のテーマ、愛についてお話したいと思います。
次は 自分を知る⑤ 愛について
識別については 識別① 識別ができるとストレスはなくなる をお読みください。
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