それぞれの終戦 -2- | なおそうやのブログ

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前回に引き続いて・・・

 

時は昭和20年

終戦宣言を受け、世間は「復興」への道のりを歩みだした。

 

名古屋の街も大空襲に遭い、都心部は焼け野原

名古屋城も消滅してしまった。

その復興の困難さは想像し得ぬほどのものだったであろう。

 

私の祖父・祖母は九州出身

戦前から名古屋に移り住み、生活の根をおろした。

昭和初期の名古屋の街は、それは活気に満ち溢れ

明るい街だったそうだ。

 

しかし戦況の悪化に伴って工業都市であった名古屋も

空爆の危険にされされる事となった。

見の危険を感じた祖父は、故郷である福岡県の親戚に

娘二人、つまり私の母と叔母を疎開させた。

 

しばしの別れとなったが身の危険には変えられず

そのまま終戦を迎えた。

 

学童ヲ疎開サセタル家庭は、速ヤカニ引キ取ラレタシ

 

旨の令を受け、祖母は娘二人を迎えに名古屋から九州福岡まで

数日をかけての移動となった。

 

【復員】

 

旧名古屋駅は現在の位置から1キロメートルほど南にあった。

普段でさえ人の多い名古屋駅ではあったが

祖母がホームを訪れた時分、戦地からの引き上げが始まった時期と重なって

人・人・人の大混乱となっていた。

 

その殆どが軍服姿の「兵隊さん」だ。

 

九州へ向かう列車は復員された人たちでギュウギュウ詰め。

何とか座席に座ることができたそうだが

女ひとりでは少し怖いと「正直」おもうほどだったらしい。

 

その怖さは、戦闘員のギラギラした威圧でなく

もう精魂も尽き果て・・ぼーっと佇む抜け殻のような

そんな空疎な「生き物」に囲まれる独特の空気によるものだった。

 

見た目の話で失礼ではあるが

その「生き物」の姿は、もうボロボロで

見るも哀れなものだったらしい。

 

「お国のために戦ってくだすってありがとうございます」

 

そう祖母は心でつぶやいていたそうだが

話しかけても返事が来ないかも知れない

最悪はそのまま事切れてしまいそうな人もいる様子を感じて

何も言えず、独特の空気を詰め込んだままで列車は南へ向かっていた。

 

【ドリフのコント?】

 

しばらくすると、列車は山間部にさしかかる

夏場という事もあり、窓を開けた状態で走る列車は「ゴオっ」と

独特のトンネル進入音が聞こえる。

 

当時は室内の照明も申しわけ程度のもので

トンネルに入ると室内はほぼ真っ暗になってしまった。

 

その時「事件」が起きた。

 

トンネルを抜け、室内が明るさを取り戻すと

そこにはトンネルに入る前とは全くちがう姿になった人が!

 

もう虚ろな眼をした兵隊さん

一番衰弱していたのであろう・・・何とその人は

持ち物から着ているものまで

「身ぐるみ剥がされた」姿に変わっていた。

 

もう中年男しか分からないと思うが・・・

ドリフターズのコントで「トンネルシリーズ」があった。

向かい合わせた列車の席、トンネルの暗闇から明るくなると

持っていたものがなくなっていたり、弁当が向かいの客に持っていかれていたりと

祖母とテレビを見ながら笑っていたものだが・・・

 

「これ、本当にあったんだよねえ・・・」と、祖母はいつも呟いていた。

 

にわかには信じられない出来事だったそうだが、事実だ。

 

衣食足りて礼節を知る とは言うが

礼節正しい日本人の心がここまで壊れてしまっていたのだ。

何という悲しさだろうか・・・

 

身ぐるみ剥がされた兵隊さんは

どんな気持ちで故郷の土を踏んだのろう。

 

終戦とは

心を癒やすまでは終わることは無いのかも知れない。