ムンク Part.6 (母と姉の死)

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では、初期の頃の作品を、ご紹介。

幼少期に培った、家族〜死と喪失。

ムンクが5才の時に他界してしまった、お母さんの絵と思われます。死と生が、一枚のキャンバスに同時に描かれていて、お母さんが、輪廻転生で、生まれ変わって来る事を、祈っているかのようですね。

《死と春》1893年 (ムンク30歳)



《死せる母とその子》1901年 (ムンク38歳)



そして、ムンクが14才の時に、他界してしまったお姉さんを思って描いたと言われている作品。

《病室での死》1893年 (ムンク30歳)


上と同じテーマで、リトグラフで示したもの。



《病める子》1885年 (ムンク22歳)



《病める子》1894年 (ムンク31歳)


《病める子 Ⅰ 》1896年 (ムンク33歳)


20〜30代にかけて、繰り返し描いています。病める子は、6作品以上もあるそうです。
家族の死に対する深い喪失感に、長く苦しんでいたのでしょうね。。。

《病める子 Ⅰ 》1896年 (ムンク33歳)



子供の頃から、死を意識していたようで、死に怯えていました。自身も、気管支炎、関節炎、13歳の時には、結核の為、吐血したりで、病弱であり、常に、病や死への不安が、付きまとっていたようです。

ムンクの言葉

「物心ついてから、生の不安が僕から離れたことはない。
僕の芸術は、自己告白だった・・・。
生の不安も病もなければ、僕はまるで、舵のない船だったろう」

死への恐怖心、命への思い、悲しみを、絵に表現していた時期。

そうそう、絵を眺めていて、思い出しました。
お釈迦様の教えの中で、悲しみや苦しみには、目を背けないで、しっかり味わった方がいい。とあります。しっかり味わう事で、次に向かえるのだそうです。

ムンクも、絵を描いて、悲しみに向き合う事で、自分を保ち、次に向かっていたのでしょうか。。。


次は、ムンクの自画像に迫ります〜。