4月16日、鹿島に着いて1日目 | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

4月16日、新人研修に関しては上司や若手に任せることとして高速バスにて一路鹿島へ。

鹿島神宮駅前に到着後はタクシーを使い、そこから鹿島大野近くのO診療場へと向かった。ここには母が入院している。前々日にはリハビリ型の施設にショートでいたのだが、そこで意識を失い、医者が駆けつけてしばらくして意識を戻した。このまま施設には置けないということになり、治療ができるように診療所へと移送された。

私は1日遅れで入院手続きを済ませ、主治医からの説明を受けた。かなり手厳しい話だった。母は食事もわずかにしか取れず(ゼリーとかプリンくらい)、点滴治療を継続し、元気が出て食事ができるようになれば少し見込めるとのこと。

母の見舞いは直接はできず、幸い診療所が平家のため、外から窓越しで面会が可能だった。窓越しで様子を見るくらい。お互いに話している言葉が聞きづらく、やつれた母の様子を見るくらいしかできなかった。

その後、ケアマネージャーさんの車で実家に移動。すると今度は父が動けないという。

母がショートで入ってから家には戻らず父は一人になってしまい、それで弱気になったのか一気に老化したかのようだった。

全身の関節が痛いということで、自力で立てない。私は自分の体を下に父の体を乗せるようにして一度は立たせてトイレに行かせたが、次に立たせようとした時には立ち上がることができなくなっていた。手を引こうとすると激しく痛みを訴えるため、最終的には救急車を呼ぶことになった。

救急搬送された父は結局、隣の市の鉾田市のT病院まで連れて行かれた。検査に時間がかかったが炎症反応が高く、結論としては肺炎とのこと。そのまま入院となった。T病院で入院の手続きを終えて病院を後にしたのは到着後3時間が経過していた。

ホテルに戻ったのは夜の8時過ぎ。その日は母と父両方の入院手続きに奔走したことになる。まさか二人がほぼ同時に入院するとは思わなかったが、結果的にはここから鹿島に四泊することに。

しかしこの日の到着がもし遅れていたら父だって危なかったかもしれない。

長い4月16日の1日がやっと終わろうとしていた。

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