神様は存在するか | ノーボスチ(旧UBEZINE)

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 神様という概念は、かつては非常に便利な概念だった。「神様が見ているから」と、陰で悪いことをしなくなったり、自分以上の存在を意識することで、自分を向上させる因にもなった。また科学が未発達な内は、自然現象を「神」と捉える考え方もあった。

 ところが、人間が賢くなるにつれ、神様はどこにいるの?という、素朴な疑問にすら答えられなくなる。だいたい、誰も神様を見たことがない。昔は地球を作った神も、寄る年波には勝てないのか、最近では、トーストに浮かび上がるのが精一杯である。


 「人間の中に神はある」と結論づけたのは仏教だ。人の中にある最高の可能性を仏性と名付けた。人類の歴史が5万年なので、4万7000年かかってようやくここまでたどり着いたことになる。最近ではキリスト教も、神様の対立概念である悪魔を、人間の心の中にいるものと認めるようになっている。簡単にはなれないが、人間こそが神と同じぐらいの可能性を持っている、これは人類史における一大革命だろう。

 では実際に、人間からどれだけのエネルギーを引き出せるのだろうか。私の知る限りの科学的方法では、相対性理論がもっとも多くのエネルギーを引き出せる。e=mc^2にあてはめると、なんと1兆735億6300万kcalである。自分の体重に、光速の2乗をかけることでエネルギーが求められる。体重50kgの人の場合、5億3678万1531日分のカロリーだ。年換算では147万634年分という膨大なエネルギーである。ダイエットも真っ青である。いやはや、「人間こそが神だ」と評するしかないわけだ。
 
 ところで、全知全能の存在を人為的に作ることは可能だろうか。来年の今頃の日本はどうなっているか、完全に予測することは可能だろうか。

 無謀にもこの試みに挑戦した国家がかつてある。ソ連である。ソ連とその子分国家が採用した計画経済は、来年必要になる全ての物資の量を予測することに挑戦した。だけど、ここで待ったがかかる。

「ちょっと待て。自動車だけでも4万点ほど部品が必要だから、それぞれの生産量を求めるためには、4万元方程式が必要になる、それを全産業全製品でやったら、天文学的な多元方程式になるぞ!?」と。これが経済計算論争である。一応計算可能だが、コンピュータを使っても、2000年の計算時間が必要だとされた。しかも集まった情報が完全に正しいと仮定しての話である。どおりでソ連の予算は、常に年を越しても決まらなかったわけである。私の恩師(ロシア経済専門)は、「未来永劫、二度と復活させてはならないシステム」と評した。

 ただ、可能性は残された。現在、コンピュータの計算能力は飛躍的にあがっており、1990年当時に2000年かかるとされた計算は、今なら短時間で計算できるだろう。だから情報が完全に正しい・・・ということはあり得ないのだが、情報が正しいと仮定すれば、コンピュータが神になれる可能性がある。

 ちょっと待て。コンピュータが神様ならば、それを問題なく扱える私の方が神様である。私は、以前ネットワーク管理の仕事をしていたので、ネットワーク上での全ての権限を持っていた。実際、ネットワーク管理者は「神」と呼ばれる。というわけで、私こそが神様の神様である。ドラゴンボールで言えば、界王である。

 ところが、あるときゴキブリが出現した。茶羽である。Gである。まさかサーバールームでゴキブリが出現するとは思っていなかった私は、とてもうろたえた。あわてて同僚(女性)に助けを求めたのである。神様はゴキブリに負けた。

 というわけで真に神なのは、茶羽ゴキブリである。ドラゴンボールで言えば、大界王である。神を信じる人はみな、ゴキブリを敬わなければならない。

 しかし、大方の人はここで不満の声をあげることだろう。「それならもっと強いのはキンチョールだ」「何を言うかゴキブリホイホイこそ界王神である」「バルサンをたけ」と宗教論争が起きるであろう。

 論理的に考えれば、神は存在しないし、今後生まれる可能性もない。ただ人間の心のみが不可能を可能にする。