神が望まれるのは公平と正義
聖書はまことに不思議な書である。
多くの人々が、この世界、この地球で偉いものは人間だと思っている。しかし、三千年ほど前に録された聖書は、そう言っていない。
預言者イザヤを通して、神はイスラエルに語った。
そして、今は、世界の我々に語っている。
「万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家であり、
主が喜んで植えられた物は、
ユダの人々である。
主(神)はこれに公平を望まれたのに、
見よ、流血。
正義を望まれたのに、
見よ、叫び」 旧約聖書 イザヤ書5章
人間は神によって造られ、その気高い目的のために地上での存在を許されている。神を信じない者たちが、それを認めないとしても、虚空のビッグバンから始まった生命の誕生と進化の目的は、まだ途上にある。(生命すら作れない被造物よ、他の生命によって生かされている被造物よ、悟れ!)
目指すのは公平と正義が行なわれる世界だ。すなわち、神の愛と憐れみが行なわれる世界だ。
これに敵対し、反抗する者は、自ら滅んで行っている。これが歴史の現実の一面だ。小国に限らず、大国といえども、例外ではない。
ロシア正教なるものを支えとしている者よ、国よ、愚か者よ、
目覚めて悔い改め、本来の使命に立ち帰らないのか!
南山 遥