荒野に呼ばわる声

  荒野に呼ばわる声

      耳を澄ませば聞こえてくる
                 
                   南山 遥

再び「黄砂の国」よ、さようなら!


 今年も我が国に「新緑」の時が訪れた。

 木々の新芽のみどりに生命の力を感じる。

 ところが、その萌える新緑の野山が、このところ霞んでしまっている。隣の「大国」から黄砂が飛んできているからだ。

 

 昨年はまだコロナが活動していたので、テレビの親切な天気予報士が「呼吸器の弱い人は外出を控えるように」とコメントしていたが、今年も同じような注意を呼び掛けている。

 

 この黄砂に対して、我が国の人は地震と同じように自然現象と思って、文句一つ言わない。でも、なんとかならないのでしょうかね。

 当の国自体が「黄砂よ、さようなら」と言いたいでしょう。でも、「昔はもっとひどかったから、今はまだましだ」と思って現状に甘んじているのでしょうね。かつて北京や西安などを訪ねたことがあったが、暖を取る石炭の煤煙で、視界も臭いもひどい状況だったから。(今でも臭いの記憶と共に甦ってくる)。

 

 でもそろそろ、GDPで追い越したのですから、大国として、

「黄砂の克服に本格的に取り組む」という、彼の国のニュースのヘッドラインを見たいものである。

 かつて我が国は、善意の資金持ち出しで官民挙げてその克服に協力したことがある。植林や緑化事業などだ。なんともお人好しの国がこの地球上にあったものです。

 アジア西端の小国イスラエルは今でも砂漠の緑化が建国の柱。そこで獲得した技術は周辺の中東諸国や他国に提供され、砂漠化に苦しむ国々を潤している。

 

 「軍拡ではなく、砂漠の緑化事業を!

 周辺国への脅しでなく、善意のお裾分けを!」

と、大国には言ってほしいものです。

 「黄砂」を克服したら、どんなに世界から喜ばれるだろう。

 さすがに孔子の国、孟子の国、徳の大国と感謝されるだろう。

 「来年までに、すぐ」とは言わない。

 「黄砂を克服しよう」というアドバルーンを上げてほしい。

 喜んで我が国は協力を申し出るであろう。

                     南山 遥

 

  「荒野と、かわいた地とは楽しみ、

  砂漠は喜びて花咲き、サフランのように、さかんに花咲き、

  かつ喜び楽しみ、かつ歌う」 旧約聖書・イザヤ書35章