内村鑑三の言葉 2 「聖書と活けるキリスト」 |   荒野に呼ばわる声

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                   南山 遥

 内村鑑三の言葉 2 「聖書と活けるキリスト」

 

 「聖書は大なり、

 しかれども活けるキリストは聖書よりも大なり。

 われもし聖書を学んで彼に接せざれば、

  われの目的を達せりと言うあたわず。

 聖書は過去における活けるキリストの行動の記録なり。

 しかしてわれらは今日かれの霊をうけて、

 新たに聖書を作らざるべからず。

 古き聖書を読んで新しき聖書を作らざる者は

  聖書を正当に解釈せし者にあらず。

 聖書はなお未完の書なり、

 しかしてわれらはこれにその末章の材料を

  供せざるべからず」。

            岩波文庫 『内村鑑三所感集』より

 

 内村鑑三先生の言う心は、新約聖書の「使徒行伝」は28章で終わっているが、われらもまたペテロやパウロのようにキリストの御霊を受けて、29章以降の続使徒行伝を綴るような行動をすることにある。また、御霊を受けた者はそうならざるを得ない。

 聖書はまさしく大なる書である。驚くべき爆薬を秘めた書である。心読する者の魂を真っ赤に燃やし、やがてあのローマ大帝国がこの聖書の信仰によって、ひっくり返ったのであるから。

 この歴史は、これからも繰り返す。    南山 遥