ナンヴヒロコ実験室の室長、ナンヴです。
お仕事でも、プライベートでも、人間関係で悩む人って、
「べき」「ねば」が多いです。
すごーくフラットに、
「べき」「ねば」を持ち続けています。
働くならこうある「べき」。
こうあら「ねば」幸せじゃない。
私の気持ちを察する「べき」じゃない?
それを相手に、周りに、世間に、テレビに押しつけて愚痴ばっかり、悪口ばっかり。
そんなことを、すごくすごくフツーにやってしまいます。
「べき」「ねば」が出て来るのはジャッジしてるからです。
ジャッジとは「判断」という意味ですが、心理の状態で言うと、
判断 + 馬鹿にしている
のが「ジャッジ」です。
オバサンなのに、あんな赤い口紅してみっともない。歳をくったら清楚であるべき。私は、ああはならない。
結婚して子どもが生まれたら、年賀状が子どもだけの写真なんて自慢かよ。子ども産めなかった人や結婚してない人の気持ち考えろよ。私は、そうはならない。
若い女の子が恋をしていないなんて!私の若い頃は、男子のことで頭がいっぱいだったのに。そんな生き方、かわいそう。
こういうの、みーーーーんな、
馬鹿にしてるんです。
そして、結局、自分を苦しめるんです。
モラハラでも良いから彼氏がいた方が良いとかなっちゃうんです(爆)。
ジャッジと自分軸は違います。
自分軸がある人は、他の人の軸も尊重します。
自分の軸を尊重しているからです。
親なんだから、私のことを理解する「べき」。
一度結婚したらモラハラでも添い遂げ「ねば」。
いい女なら、モラハラさんの過去も包括す「べき」。
親が嫌いだから、親みたいにならないようにせ「ねば」。
親は全能なんだから、って馬鹿にしてるでしょ。
離婚した人のこと馬鹿にしてるでしょ。
モラハラの底力、馬鹿にしてるでしょ。
(ちょっと違って来た)
自分の親の子育て、馬鹿にしてるでしょ。
でも、まずは、自分が人を馬鹿にしてることに気付くことからです。
うん、馬鹿にしてる!
むしろ、これが自分軸でもいいわけです。自覚があれば。
(石野卓球なんか、こんなかんじだろうな〜)
自覚がないから、無意識にジャッジして、馬鹿にして、腹が立って、ああはなるまい、こうあらねばと、自分が歩く道をどんどん狭くして行ってるんです。
なので、誰かが目の前に現れると、よける場所がなくてぶつかってしまいます。
相手は相手の軸で道を歩いていただけかもしれないのに。
「べき」「ねば」で、自分は人を馬鹿にしている。
これを認めたら、毒親育ちもモラハラも卒業する階段を始めている証拠かと思います。
どうやって認めるかって?
思い出したので、次の記事に書きます。
たいていのいざこざは思い込みから。
↓思い込みを取るのがひとりでは続かない、難しいという方は、こちらをどうぞ。
世界は、一歩踏み出したひとの
味方ですよ
ナンヴヒロコでした♡