早起き1151日目
おはようさまです。
今年の正月明けから一日に一回だけ食事を摂るようにしている。
朝昼食べずに夜だけ食べています。
それは、夜に懇親会が多々あるからです。
以前、懇親会でウーロン茶だけで他は全く食べなかったことがあり、とても辛かったもので夜だけ食べることにしました。
空腹は感じる時もあれば、感じない時もあります。
思った程は辛くなくて、今までの空腹感は思い込みの部分が大きかったのだなと思う。
子供の頃は食べないと怒られた。
食べたくなくても食べさせられた。
その影響か、食欲が無くても食べられるようになり、胃腸が休みたいと申し出ても惰性で三食食べていたし、三食食べないと心が落ち着かなかった(笑)
あれほど食い意地が張っていたはずなのに、今は張りがなくなったようだ。
毎日体重を測って、食べ方による体重への影響を観察している。
正月休みは食って寝ての生活を一週間続けたので年末より増えていた。
一日一食を始めたら、500g位ずつ減っていって二ヶ月経った今は年末の体重に落ち着いている。
ずっと減っていくかと思いきや、何故かバランスが取れている。
食べ過ぎると増えてしまうが、翌々日には元に戻る。振り子のようです。
時には朝よりも、晩御飯を食べた後の方が軽い時もある。
プラスマイナス1kgで行ったり来たりしている。
食べ続けて育て上げた脂肪の壁は中々取れないですね。
テレビで観ましたが、北極熊は冬の間に栄養を蓄えて、餌の少ない夏は殆んど食べずに過ごすそうです。
食べずに代謝を抑えて少しずつ脂肪を消費していきます。
脂肪が分解すると水分も出ますから水も飲まないそうです。
だから、水を飲むのは冬に充分に蓄えられず、脂肪を消費してしまっているからで、確かにガリガリの熊が水を飲んでいました。
食べないと死ぬというのが常識でしたが、食べると死ぬということもあるのです。
生命の不思議ですね。
環境に合わせて生存率を高める工夫が行われているのです。
人間は知恵で病気や飢えを乗り越えて繁栄してきましたが、浪費するようになり自然のバランスが崩れています。
人口が増えて酸素が必要なのに森林が減っている。
食料が必要なのに砂漠化が進んでいる。
乗り越えなさいという試練なのか、行き過ぎているよというサインなのか。
今年の正月明けから一日に一回だけ食事を摂るようにしている。
朝昼食べずに夜だけ食べています。
それは、夜に懇親会が多々あるからです。
以前、懇親会でウーロン茶だけで他は全く食べなかったことがあり、とても辛かったもので夜だけ食べることにしました。
空腹は感じる時もあれば、感じない時もあります。
思った程は辛くなくて、今までの空腹感は思い込みの部分が大きかったのだなと思う。
子供の頃は食べないと怒られた。
食べたくなくても食べさせられた。
その影響か、食欲が無くても食べられるようになり、胃腸が休みたいと申し出ても惰性で三食食べていたし、三食食べないと心が落ち着かなかった(笑)
あれほど食い意地が張っていたはずなのに、今は張りがなくなったようだ。
毎日体重を測って、食べ方による体重への影響を観察している。
正月休みは食って寝ての生活を一週間続けたので年末より増えていた。
一日一食を始めたら、500g位ずつ減っていって二ヶ月経った今は年末の体重に落ち着いている。
ずっと減っていくかと思いきや、何故かバランスが取れている。
食べ過ぎると増えてしまうが、翌々日には元に戻る。振り子のようです。
時には朝よりも、晩御飯を食べた後の方が軽い時もある。
プラスマイナス1kgで行ったり来たりしている。
食べ続けて育て上げた脂肪の壁は中々取れないですね。
テレビで観ましたが、北極熊は冬の間に栄養を蓄えて、餌の少ない夏は殆んど食べずに過ごすそうです。
食べずに代謝を抑えて少しずつ脂肪を消費していきます。
脂肪が分解すると水分も出ますから水も飲まないそうです。
だから、水を飲むのは冬に充分に蓄えられず、脂肪を消費してしまっているからで、確かにガリガリの熊が水を飲んでいました。
食べないと死ぬというのが常識でしたが、食べると死ぬということもあるのです。
生命の不思議ですね。
環境に合わせて生存率を高める工夫が行われているのです。
人間は知恵で病気や飢えを乗り越えて繁栄してきましたが、浪費するようになり自然のバランスが崩れています。
人口が増えて酸素が必要なのに森林が減っている。
食料が必要なのに砂漠化が進んでいる。
乗り越えなさいという試練なのか、行き過ぎているよというサインなのか。
早起き1150日目
おはようさまです。
人の思考は思い込みがベースである。
思い込みは常識とも呼ばれる。
無限の可能性に満ちた子供らが、同じ様な大人に育つのは思い込みが可能性の扉を開かせないように作用するからである。
教育が可能性を狭めており、窮屈な人間に仕立て上げるのである。
親が一番影響を与え、学校の先生方、周りにいる大人らが寄ってたかって、正しいか正しくないか分からない自分の常識を子供に教え込む。
躾や愛の鞭と称して暴力を奮って従わせる。
形だけ教え込むから、考えることを教えられずに経験せずに育ってしまう。
素直と従順の違いを大人ははき違えている。
我が儘と責任ある自己主張の違いを
分からずに甘やかして育ててしまう。
そんな風に思い込みに支配されているのが今の人間です。
言い訳して責任から逃れる。
痛みから逃げ回るから成長がない。
成長とは脱皮である。
古い誤った常識を脱ぎ捨てるのだ。
厚い面の皮も、脱皮すれば色白できめ細かい赤ちゃん肌になる。
ふんぞり返った姿勢も、脱皮すれば真っ直ぐに背骨が伸びる。
思い込みの皮はそれだけ分厚いのだ。
暖かくて着心地が良いのは、それしか着せられてこなかったから。
人間の一番の可能性は何かと言うと、自分の意思で脱皮出来ることである。
自分の思い込みという毛皮を脱ぎ捨てることで、結構幸せになれる。
欲望こそが生命の源。
命は貪欲である。
自分が生きるために仲間をも喰らう。
だが、無限に増える筈だが増えない。
それは有限な世界だから。
貪欲な故に満たされなければ生きていけず、有限の範囲内だけで生かされているのが生命である。
不足を意識する。満足を意識する。
無いことを意識する。有ることを意識する。
思考は表裏一体であり、どちらから見るかが大事である。
思い込みとは、物の見方のクセであり、常に一方向から見てしまうからバランスが悪くなるのである。
色眼鏡を外すと、本当の色を知ることが出来る。
人生があかるくなる。
人の思考は思い込みがベースである。
思い込みは常識とも呼ばれる。
無限の可能性に満ちた子供らが、同じ様な大人に育つのは思い込みが可能性の扉を開かせないように作用するからである。
教育が可能性を狭めており、窮屈な人間に仕立て上げるのである。
親が一番影響を与え、学校の先生方、周りにいる大人らが寄ってたかって、正しいか正しくないか分からない自分の常識を子供に教え込む。
躾や愛の鞭と称して暴力を奮って従わせる。
形だけ教え込むから、考えることを教えられずに経験せずに育ってしまう。
素直と従順の違いを大人ははき違えている。
我が儘と責任ある自己主張の違いを
分からずに甘やかして育ててしまう。
そんな風に思い込みに支配されているのが今の人間です。
言い訳して責任から逃れる。
痛みから逃げ回るから成長がない。
成長とは脱皮である。
古い誤った常識を脱ぎ捨てるのだ。
厚い面の皮も、脱皮すれば色白できめ細かい赤ちゃん肌になる。
ふんぞり返った姿勢も、脱皮すれば真っ直ぐに背骨が伸びる。
思い込みの皮はそれだけ分厚いのだ。
暖かくて着心地が良いのは、それしか着せられてこなかったから。
人間の一番の可能性は何かと言うと、自分の意思で脱皮出来ることである。
自分の思い込みという毛皮を脱ぎ捨てることで、結構幸せになれる。
欲望こそが生命の源。
命は貪欲である。
自分が生きるために仲間をも喰らう。
だが、無限に増える筈だが増えない。
それは有限な世界だから。
貪欲な故に満たされなければ生きていけず、有限の範囲内だけで生かされているのが生命である。
不足を意識する。満足を意識する。
無いことを意識する。有ることを意識する。
思考は表裏一体であり、どちらから見るかが大事である。
思い込みとは、物の見方のクセであり、常に一方向から見てしまうからバランスが悪くなるのである。
色眼鏡を外すと、本当の色を知ることが出来る。
人生があかるくなる。
早起き1149日目
おはようさまです。
人は変わらない。
その根本のところは絶対に変わる筈がない。
あなたは子供の頃からどれ程成長した?
思い出そう。小さい頃を。
小学生の頃は自分より年齢が上の人は、自分の知らないことを知っているし、出来ないことを簡単にやってのけるし、とても凄い存在だった。
あんな風に色々出来るようになりたいと思った。
苦い泡が立つ黄色いドリンクも、大人になれば美味しく飲めるようになれるのかなぁと、素直に憧れた(笑)
中学生になっても、大人は凄いカッコいい存在だった。
高校生になる頃には、大人になってバリバリ働いて活躍する自分の姿を思い浮かべ、あんな風に成れるのかと不安も覚えたものだ。
大学生の年齢の頃は、社会の一員として認められはしたが、バリバリ働いている大人の存在は今の自分は足元にも及ばない凄い存在であり目標であり憧れであった。
社会人になっても、先輩社員はもとより、上司や役員などは自分が及びもしない雲の上のような存在で恐れ多かった。
とにかく、大なり小なり人によって程度の差はあれど、自分より歳が上の人や経験を積んだ人は自分にはない凄いものを持ってるんだと思ってきた筈だ。
で、実際どうだっただろうか。
その年齢になり、憧れた通りの凄い完璧な大人に成れただろうか。
思っていた程には凄く出来る人にはなっていない筈だ。
人の想像力は時として素晴らしい勘違いを引き起こす。
大人になっても、根本の自分は殆んど変わらないのである。
あんなに凄いなと憧れたはずなのに、
実際にその年齢になってみると大したことないのである。
変わらないまま、大人になっている。
そして、最近の若い者はと逆に若者を羨ましく見るのである。
これも想像力の為せるわざである(笑)
人は変わらない。
絶対に変われない。
子供の頃から何も変わらずに、身体だけが成長するものだから。
ただ、演技力が向上するだけ。
立場が人を育てるとは、言い当てて妙である。
根本が変わらないのには理由がある。
自我という存在である。
子供の頃、突然に自分自身を意識するようになる。
他人と自分という絶対的な世界観が生まれる。
自分が存在出来るのは、自分とは違う他人がいるから。
自我が変わるようでは、自分の存在はあやふやなものになってしまう。
変わらないことこそが自分なのである。
成長したいという本能が、大人の姿を目標にするのである。
変われないが故である。
出来ないことに憧れるのである。
あなたはどんな大人になりたかったのですか?
思った通りの大人になれましたか?
人は変わらない。
その根本のところは絶対に変わる筈がない。
あなたは子供の頃からどれ程成長した?
思い出そう。小さい頃を。
小学生の頃は自分より年齢が上の人は、自分の知らないことを知っているし、出来ないことを簡単にやってのけるし、とても凄い存在だった。
あんな風に色々出来るようになりたいと思った。
苦い泡が立つ黄色いドリンクも、大人になれば美味しく飲めるようになれるのかなぁと、素直に憧れた(笑)
中学生になっても、大人は凄いカッコいい存在だった。
高校生になる頃には、大人になってバリバリ働いて活躍する自分の姿を思い浮かべ、あんな風に成れるのかと不安も覚えたものだ。
大学生の年齢の頃は、社会の一員として認められはしたが、バリバリ働いている大人の存在は今の自分は足元にも及ばない凄い存在であり目標であり憧れであった。
社会人になっても、先輩社員はもとより、上司や役員などは自分が及びもしない雲の上のような存在で恐れ多かった。
とにかく、大なり小なり人によって程度の差はあれど、自分より歳が上の人や経験を積んだ人は自分にはない凄いものを持ってるんだと思ってきた筈だ。
で、実際どうだっただろうか。
その年齢になり、憧れた通りの凄い完璧な大人に成れただろうか。
思っていた程には凄く出来る人にはなっていない筈だ。
人の想像力は時として素晴らしい勘違いを引き起こす。
大人になっても、根本の自分は殆んど変わらないのである。
あんなに凄いなと憧れたはずなのに、
実際にその年齢になってみると大したことないのである。
変わらないまま、大人になっている。
そして、最近の若い者はと逆に若者を羨ましく見るのである。
これも想像力の為せるわざである(笑)
人は変わらない。
絶対に変われない。
子供の頃から何も変わらずに、身体だけが成長するものだから。
ただ、演技力が向上するだけ。
立場が人を育てるとは、言い当てて妙である。
根本が変わらないのには理由がある。
自我という存在である。
子供の頃、突然に自分自身を意識するようになる。
他人と自分という絶対的な世界観が生まれる。
自分が存在出来るのは、自分とは違う他人がいるから。
自我が変わるようでは、自分の存在はあやふやなものになってしまう。
変わらないことこそが自分なのである。
成長したいという本能が、大人の姿を目標にするのである。
変われないが故である。
出来ないことに憧れるのである。
あなたはどんな大人になりたかったのですか?
思った通りの大人になれましたか?