タイの文学で重要なものの一つが『ラーマキエン』です。
これは、インド古典文学『ラーマーヤナ』がタイに渡ってきてタイ式になったものです。
『ラーマーヤナ』は東南アジアに広く伝播して、それぞれのお国柄によって少しずつ変化して語られたり、舞踊演劇や影絵人形劇になったりしてきました。
タイでは、現在のラーマ王朝時代の6世になるまでに、戯曲として編纂され、タイの国語教科書にも高学年にんると原文の韻文体が載っていたりします。
その長大な叙事詩ラーマキエンが、タイでは「子ども財団出版(สำนักพิมพ์มูลนิธิเด็กムーラニティ・デック)」からシリーズ絵本で出ています。
最初の画像は、物語の始めになるところで、タイトルは「ノントック悪意をおぼえる(ノントック・キットケーン)」と読めます。
この絵本は残念ながら入手できなかったのですが、おそらく、物語の始めは、ノントックがいつも神さまにからかわれているので、親指を魔法の親指にしてもらって、その指でさした相手を殺してしまうことができる、しかし、あまりにもそれを悪用するので、ヴィシュヌ神が女装の踊り子として近づいて、ノントックをゆだんさせ、ふりまねをさせて、親指を自分に向けるふりをうっかりさせて、ノントックは自分自身を殺してしまう。
そのうらみから、ノントックが生まれ変わった、10の顔を持つ鬼の王トッサカン(『ラーマーヤナではラーヴァナ』)と、ヴィシュヌ神が生まれ変わったラーマ王子は、後世で戦争を始めることになったという、因縁部分だと思います。
その次のお話にあたるのが、『ラーマ王子とシーダー姫の誕生(カムナート・プララーム・レ・ナーン・シーダー)』です。
文は、チムリム・コムカムจิ้มลิ้ม คมขำ、絵はリットマイ・ホンウィスッテグンรติมัย หงส์วิสุทธิกุลという方のようです。
『ラーマキエン』の主役ラーマ王子とその妃シーダー姫の誕生の部分です。
アヨーダヤーのトッサロット王には長く子どもが生まれなかったので、仙人のところにいって、子どもがさずかるように願います。
仙人は、シヴァ神のところにおもむいて、ヴィシュヌ神が人間に化身して誕生するようにたのみます。
シヴァ神のところに呼ばれたヴィシュヌ神は、自分の妻と、自分の持ち物である台座、ほら貝、こん棒、チャクラもいっしょに生まれ変わるように頼みます。
仙人たちが祈祷をしていると、火の中に、炊いたごはんのかたまりを盆にのせた小鬼が登場します。
そのいい匂いは、ランカー国の鬼の王トッサカンの妻モント―夫人のところにまでただよって、モント―夫人は、一つカラスに盗ませます。
さて、トッサロット王の妻たちもそのごはんのかたまりをいただいて、やがて子どもが生まれます。
カウサリヤー妃には、ラーマ王子。
カイケーシー妃には、バラタ王子。
サムトラーチャー妃は、二つ食べたので、ラクシュマナとシャトルグナの二人の王子が生まれます。
一方、モント―夫人も、子どもを生みます。
ところが、その子どもは「鬼を殺す」と三回泣きました。
鬼の王トッサカンは、子どもをふたつきの容器に入れて川に流して、殺すように命じます。
子どもはそのようにして川に流されましたが、天女たちが守って岸にあげ、仙人がそれを拾います。
仙人は人差し指から乳を出してその赤ちゃんを養いますが、やがて瞑想のさまたげになる、と、容器に入れて、木の根元に埋めて、木の神に守護をたのみます。
仙人は16年間修業をつみましたが、限界を感じます。
そこで、仙人をやめることにして、木の根元にあった容器をとりだしてみると、中からは美しい娘が現れました。
娘にシーダーと名付けてともなって、仙人はもとのミトラー国の王様の地位にもどり、国に帰ると、臣下も国民も大喜びしました。
シーダーは王と王妃の娘として遇されます。
そして、王は、ふさわしい婿選びに、シヴァ神の弓矢をひくことができたものと、シーダーを結婚させるとおふれを出します。
そして、ラーマ王子だけがその弓矢をひくことができたので、二人は結婚して愛し合って暮らしました。
というところまで書いてあります。
巻末には、原文も載っています。