オレが【建築】を勉強し始めた大学生の頃の思い出 | 朝鮮学校を卒業したオレが今思うこと

朝鮮学校を卒業したオレが今思うこと

朝鮮学校卒業 既婚
得意分野:ジムトレ、数学、妄想小説、婚活経験談(シモ含む)
座右の銘:来るものは拒むかもしんないけど去る者は追わず

いまから数十年前

朝鮮高校を卒業したオレ

卒業からいろいろあって

現役から3年遅れで某大学建築科に入学した

 

オレは21歳、周りは18歳

おれってオジさんかも

初めて感じた

 

 

なぜ建築か

ケンチクって響きがカッコいい

そんだけ

 

朝高時代パイロットになりたかったけど

朝鮮人パイロットダメ!だったので

じゃあ建築だろって

 

 

 

 

 

職業は名前で選ぶスタイル

あまり賢くない子

まあそんなもんかもしれん

 

 

建築の知識

「セパ穴」が何なのか知らなかった

 

セパ穴

 

 

 

穴からコンクリート入れて

ふさいだ時のフタ跡だと本気で思ってた

セパ穴を理解したのは大学卒業した後

 

 

建築の分野には

意匠設計、構造設計、施工管理、工事監理

いろいろある

学生はだいたい意匠設計に憧れる

俺もそうだった

 

意匠設計というのはざっくりいうと

建物の「形」を設計する分野

デザイナー

いわゆる「建築家」

 

安藤忠雄(光の教会)

原広司(京都駅)

丹下健三(代々木体育館)

 

建築家ってのは意匠設計の中でも

とりわけ「デザイン」に特化した芸術家

実務的な設計にはあまり関わってない

芸術家、思想家、哲学者的存在

 

デザインでメシが食える建築家はほんの一握り

学生は「建築家」に憧れる

オレも建築家に傾倒した青臭い学生だった

 

 

 

学生のころ

前衛的建築家に内藤廣さんがいた

当時の内藤さんは「海の博物館」(鳥羽市)の設計で大きな賞を受賞した

超売れっ子建築家

その内藤さんがオレの大学に講演に来た

オレは大興奮で参加した

 

 

ヒゲを生やした「ザ・建築家」の内藤さん

一言目にこう言った

 

 

「建築構造デザインの時代は東京国際フォーラムの意匠で一つの区切りを迎えましたね」

 

 

東京国際フォーラム

 

 

 

さすが内藤さん

すげえ

何言ってるか全然わかんねえけど

とりあえずスゲエ

オレはウットリしてた

ほとんど意味はワカランかった

 

 

講演会のあとがオレは同級生たちに

「東京国際フォーラムは一区切りしたんだよねえ」

と語ってみた

みんなポカンとしてた

自分でも言ってる意味ワカランかった

 

 

そんなカンジで建築を勉強してた大学時代

勉強というより

建築っぽい憧れ空間に身を置くカンジ

 

 

大学の設計講義

実際の敷地に「コミュニティーセンター」を設計する課題が与えられた

A1白ケント紙に平面、立面、断面をロットリングで描くという課題

オレは超奇抜デザインのコミュセンを描いた

 

 

 

 

 

学生時代設計したコミュセン

(当時を思い出しながら書いたイメージ図です)

 

 

地震でぶっ倒れそうな細い柱

構造的に完全にムリがある20mのキャンチ梁

空調全然効かなさそうなバカにみたいにデカイ窓

重力に逆らう極大ピロティ

こんな建物凶器でしかない

 

 

 

このとき提出した設計方針レポート

「構造的デザインはこの建物で一区切りを迎えそうです」

おもいっくそ内藤さんをパクった

今思い出すと恥ずかしくなる

ただ大学生に予備知識なしで

いきなりコミュセンを設計させる大学側にも問題がある

マス目もないケント紙に

いきなりロットリングで図面描けるわけない

しかも所要室は自分たちで考えろ

課題が雑すぎ

 

 

この課題をちゃんと解くなら

最初は敷地の周辺調査

そして建築主の所要室割り出し

用途地域、延焼ライン、高さ制限といった法令チェック

ボリューム計算、ゾーニング、動線計画、プラニング

そこからエスキス

5mm方眼用紙にシャーペンで図面を起こして

それをA2ケント紙に焼きうつして

最後にロットリングでなぞる

 

だいたいそういう手順になる

いきなりA1ケント紙にロットリングは絶対無理

学生に作図手順を教えない学校が悪い

今はどういう教え方してるか知らんけど

 

 

いろんなブツを学生に売りさばいてた

ドラフター(15万円)

ロットリング(1セット2万円)

コミュニティセンター図面集(1冊5000円)

三角定規セット(1万)

 

 

教室の出口で売りさばく

全然必要のない道具ばかり

三角定規セットなんか1000円で買えるシロモノ

知識のない学生はバンバン買ってた

老人に健康食品を売りまくる悪徳施設のよう

オレは買わなかったが(買う金がなかった)

友達がドラフターをガッツリ買ってた

1回も使ってるとこ見たことない

 

 

大学の講義でメタボリズムだとか機能主義だとか教える前に

建築士試験の図面の書き方を教えたほうが有意義だと思う

たぶん大学の教授に一級建築士がいなかったんじゃないか

三流大学だから仕方ない

 

 

当時メジャーな建築家といえば

丹下健三、磯崎新、黒川紀章、安藤忠雄、原広司、槇文彦、

前衛的なところで妹島和代、伊藤豊雄、高松伸、シーラーカンス設計集団

海外はライト、コルビジェ、カーン、ミース

近代建築の前衛的存在、ゲーリー、ピアノ

オリンピック会場ボツ案で有名になったハディト

 

オレはこのあたり建築家の本を

片っ端から読んだ

黒川紀章先生のところに押しかけて

バイトとして働かせてもらった

バイトつってもタダ働き

研修生扱い

 

 

その時に見た現実

黒川紀章事務所で

日本テレビの新社屋コンペに応募することになった

コンペの公募日

黒川先生がクレヨンスケッチ1枚だけペペっと書いて

隣の若い所員に渡した

所員は両手で先生からスケッチを受け取り

毎日徹夜で図面描いて模型作ってた

今みたいにCADがあまり普及してない時代

全部手書き

 

設計事務所の若い人たちは

バイトしないと食えないくらい給料が安い

月給8万円

残業後に深夜コンビニへバイトに行く

ほとんど寝てない

 

結局、日本テレビの設計コンペで黒川紀章事務所は負け

三菱地所設計が勝った

あーこれが建築家ってやつなのかと

こりゃ意匠設計でメシは食えないかもしれない

次に伊藤豊雄先生のところも行ったけど

同じカンジだった

 

それで目が覚めて、建築家になるのは辞めた

メシが食えそうな施工管理にシフトチェンジ

大学の研究室も意匠系は選ばず

構造系に進んだ

今は意匠設計に未練はない

時々、建築家の本を読む程度

 

 

有名建築家で思い出すのがザハ・ハディト

学生のころハディトのデザインは大好きだった

ハディトさんのオリンピック会場案は是非実現してほしかった

 

新国立競技場コンペ最優秀賞(ザハ・ハディト案)

 

 

オリンピック会場設計のイザコザ

日本側の対応が醜かった

ハディト事務所と契約しておいて

後になってコストがかかりすぎるからって理由で

一方的にハディト側に破棄を言い渡し

最後には完全に悪役にされて亡くなったハディトさん

かわいそうでならない

ザハ・ハディト案の代替に隈研吾案が採用された

 

 

新国立競技場(隈研吾設計)

 

 

最低のデザイン

機能美もへったくれもありゃしない

建築ではなく「建設」だ

 

 

このデザインが通るなら

日本建築界の将来は終了

まったく期待できない

 

狭い日本で大型建築建てるところもないし

突き抜けた発想ができる建築家もいない

国内リノベーションか

個人住宅を建てるくらいがせいぜい

 

 

 

オレが施工管理に就いて6年目の時

安藤忠雄先生の物件を担当をした

 

 

 

安藤建築のウリであるコンクリート打ちっぱなし

オレが担当することになり超緊張した

5mくらいの竹やりでコンクリートを無我夢中でツキまくった

型枠脱型は心臓バクバクだった

ジャンカできたら先生にシバかられるんじゃないか

先生は元プロボクサー

うまく打ててホっとした

 

その後先生が主催する淡路島の講演会に招待して頂いた

とても気さくな方だった

周りを取り巻く安藤事務所の若い所員たち

東大京大からバンバン入ってくるらしい

当然給料はクッソ安い

安藤先生に憧れて入所したんだろう

オレも学生時代

建築家安藤忠雄に憧れてた

 

東大卒業か

もっと別の道がありそうだが

自分の道は自分で判断すればいい

とりあえず頑張ってほしいと思った

 

講演会の最後に安藤先生からサイン入りの著書本をもらった

いまでも大事にしてる

オレのことは一切覚えてないと思うけど

 

 

オレは施工管理の道で正解だった

あとは一級建築士が取れれば、他に何も言うことはない

今の望みはそれだけ

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