こんばんは!
なないろベース事務局&大分県連合青年団団長タカッチです!
昨日は、宮崎県椎葉村へ☆
2019(令和元)年度の九州ブロック青年団協議会の団長会参加のためです!
前年度:平成最後の年は、我が大分県が幹事県(リーダー県)を務めました→団長会in大分別府、九州青年祭in大分天瀬(その1・その2)
そして今年度:令和最初の年は、宮崎県が幹事県!
(以降…熊本→佐賀→鹿児島→長崎→福岡→沖縄→大分→宮崎…です)
九ブロ会長(宮崎県団長)の地元である椎葉村で開催。
九州の青年団のことについて深夜まで語り合いました!
あわせて、私個人で椎葉プチ観光も行いましたので、そちらメインでご紹介いたしますm(__)m
(※内部会議のため会議詳細は割愛+九州の仲間の地元フィールドを学ぶことも大事のため!)
▽動画→https://youtu.be/16M9ImtnGoo
▽会議の様子
夕方~深夜1時まで語り合い!
▽夕食は、鶴富屋敷(詳細後述)という国指定重要文化財にて、贅沢や料理を頂いたり、宿泊もさせていただいたり☆
ありがとうございましたm(__)m
▽夕食風景が、どことなくG20or幕末の会議風?(笑)
▽宿泊部屋も広々で、施設も充実!
▽朝食も豪華!ごちそうさまでしたm(__)m
また、翌朝はプチ観光。
(1)鶴富屋敷~那須大八郎と鶴富姫伝説~
▽那須大八郎と鶴富姫の銅像
<那須大八郎と鶴富姫伝説>
今から約800年前、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党は九州の山奥へと逃げていきました。
源頼朝から平家追討の命令を受けたのは那須与一でしたが、病気になってしまったため、
その弟那須大八郎が代わって、平家の落人を追ってこの椎葉村までやってきます。
しかし、大八郎は、かっての栄華もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念して、幕府には追討を果たしたと報告します。
そして、大八郎はこの地に屋敷を構え、落人達と共に生活するようになり、やがて、平清盛の末裔である鶴富姫と出会い、恋仲になります。
大八郎は財宝を捨てこの村に永住することを決意しますが、幕府から「すぐに兵をまとめて帰れ」という命令が届きます。
このとき、すでに鶴富姫は身ごもっていました。
しかし、仇敵平家の姫を連れて行くわけにもいかず、別れの印に名刀「天国丸」をあたえ、「生まれた子が男なら我が故郷下野の国へ、女の子ならこの地で育てよ」と言い残し椎葉村を後にするのです。
生まれたのはかわいい女の子。鶴富姫は大八郎の面影を抱きながら、その子をいつくしみ育てたということです。
(※「みやざき ひむか学」HPから引用いたしましたm(__)m)
<那須家住宅>
椎葉村の民家はすべて同じ形式の民家として知られているが、この家はその代表的なものである。
間取りは部屋を一列に横に並べた形式で向かって左より、こざ、でい、つぼね。うちねの四室がならび、その右に、とじ(土間)がある。
各室は前面をしたはら(広縁)内部をおはらといい、背面にはすべて戸棚を造り付けにしている。
民家としては規模が大きく、しかも太い材料を用いた本格的な構造を持ち、民家特有の美しさをよくあらわしている。
小屋組はさすを組み合わせ、屋根は寄棟造りで茅葺であったが、昭和38年に銅版に葺き替えられた。
鶴富屋敷ともいい、平家落人の伝説と共に古い歴史をもつと伝えられる。
日本の民家としては極めて重要なものとして重要文化財に指定された。
(※現地案内看板にて)
(2)椎葉厳島神社
壇ノ浦の戦いで破れた平家一門討伐の命を受けた那須大八郎宗久が、椎葉山中での平家残党の叛意なき姿を深く哀れみ、
平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請し建立したものとされています。
椎葉厳島神社は、交通安全、厄除け、女の神様としても崇敬を受け村を見渡す小高い丘に鎮座し、古くは厳島大明神と呼ばれていました。
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀り、素盞鳴命(スサノウノミコト)も合祀されています。
現在の社殿は、平成八年に氏子崇敬者により、本殿、幣殿、拝殿を改修し、社務所、手水舎、裏鳥居を新築、平
成十年に参道を改修しました。
表鳥居は、平成17年9月6日の土石流により喪失しましたので、平成20年6月に再建されました。
また、源平おまもりも有名。
平家追悼の命を受けた源氏方の那須大八郎宗久と平清盛の末孫と言われる平家方の鶴富姫が敵味方を超えて縁が
結ばれた由縁から、このおまもりは生まれました。
「良縁」「夫婦円満」「子宝安産」「健康」等の御神徳があります。
(※「椎葉村観光協会」HPから引用m(__)m)
(3)しいば土俵相撲場
2012年完成。プロアマ交流や合宿など行われます。
毎年7月に少年相撲大会開催。
まさに本日、少年相撲大会開催でした!
(4)落ち水の滝
滝は三段で、全長は70mにもおよびます。
全貌を見るには対岸の山から見るしかありません。
15世紀の後半、安土城に移った織田信長は、古代、欠けまた満ちる現象から月には死と蘇生を繰り返す水「落ち水」があると信じられており、地区の人々は古くからこの滝の水を正月に汲む若水として大事にしています。
谷水が涸れないように「ごうさま」と呼ばれる水神様が祀られ、昭和の初め頃までは「ごうさま鷹」が棲みつき、この一帯を見守るように飛び回っていたといわれています。
(※「椎葉村観光協会」HPから引用m(__)m)
…と、以上です!
団長会について、九州各県の青年団の現状はやはり厳しく、課題ばかり。
しっかりと顔を合わせてコミュニケーションをし、一緒に頑張っていこうということに!
また、椎葉村も個人的に11年ぶりの訪問!
ただ、前回は青年団の先輩とドライブも、迷子&車酔い&ガス欠寸前など、ほとんど滞在できずじまい…。
念願の鶴富屋敷はじめ、見所満載のスポットを複数拝見できたのが嬉しかったです♪
そして、椎葉村の皆様もご厚意に感謝です!てげありがとうございましたm(__)m
以上です!
それではよい一週間を☆
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<大分県豊後大野市青年団なないろベース>
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